藍井エイル「シリウス」:一等星のように輝く歌、星空のように瞬く音
最近、藍井エイルの「シリウス」を聴いています。明るく光る一等星の名前を冠した曲です。2013年にシングルとしてリリースされ、翌年の2枚目のアルバム『AUBE』に収録されました。躍動するボーカルと開放的なバンド・サウンドが組み合わさることで、聴きながら気持ちは高揚し、そして聴き終えた後に爽快感を残します。
メロディがきらきら光る、というイメージが浮かびます。思い出されるのは、「シリウス」がオープニングを飾ったライブ「Eir Aoi 5th Anniversary Special Live 2016 “Last Blue” at NIPPON BUDOKAN」です。目の前が明るくてポジティブな気持ちで聴けたのは、単にステージを照らす光だけではなく、そのメロディに因るところもあったのかなと思います。
シングルには他の曲に加えて、「シリウス」のインストも収録されています。音だけで聴くと、ボーカルが入っているものとは異なる印象を受けます。例えばオルガンが鳴っていることに、インストを聴いて気づきました。そしてボーカル入りを聴きなおすと、オルガンが聞こえる。これまでも聞こえていたはずなのに、認識していなかったわけですね。歌に意識のリソースが多く割かれていたためでしょうか。
インストは歌というパーツを外した、部品の欠けた機械なのでしょうか。僕は、違う世界を描くキャンバスだと思います。そのシンガーのファンであれば「物足りない」と感じるのが当然なのかもしれません。ただ、これまで僕は、ボーカリスト自身が「歌も楽器の一部」と公言してはばからないグループの曲をたくさん聴いてきたせいか、インストはインストとしてボーカル入りとは別個の存在と捉える節があります。インストを聴いても歌がなくて物足りないと思うのではなく、「こういう音が入っていたのか」というような発見を楽しむことが多い。
そして、インストの魅力は「歌の存在を改めて感じられる」点にあります。音だけで聴いてみるからこそ、そこに「ないもの」の価値を感じるというか。インストを聴くことで、またボーカルが入った状態で聴きたくなる。歌声に魅せられているため、歌もインストも、それぞれの観点から楽しめるのだと思います。歌と音は互いの魅力を引き立てる関係ですね。この「シリウス」という曲も、音の魅力と歌の魅力が相互作用でクロスしていると僕は感じました。楽しい。