ぼくと、モナーと、初音ミクと、博麗霊夢と、5年3組
「Nightmare City」か、「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」あたりでも再生しながら読むといいと思う。
パソコンを触り始めたのは小学校1年生くらいの頃だったと思う。ぼくの家には生まれる前からパソコンがあって、インターネットなんてまだ知らなかったぼくにとって、パソコンはケンチャコだかいうフロッピー(!)の知育ソフトや、ピカピカ光るピンボールなどをするための、ただのゲームハードだった。小学校でパソコンの授業が現れるころには、タイピングはひととおり会得していた。
西暦はすでに2006年、インターネット文化はすっかり熟成されてしまっていた。インターネットに繋ぐときにピーガーピョロロとパソコンが騒ぐことはないし、ページの読み込みに無限に時間がかかることも、もはやなかった。ぼくは電話回線のインターネットを知らず、ファミコンを知らず、第二次世界大戦を知らない。
しかしぼくはニコニコ動画を知っているし、にちゃんねるを知っているし、おもしろフラッシュ倉庫を知っている。秋葉原で大規模なハレ晴れユカイコスプレ祭が行われていた頃、小学生のぼくはインターネットの世界に飛び込んだ。
ぼくの記憶に刻まれた"最初のインターネット"は、「千葉! 滋賀! 佐賀!」とモナー(正確にはらーめんずだが)が叫ぶ、例のフラッシュアニメだったと思う。小学校二年生の時にクラスメイトがおもしろフラッシュ倉庫という未知の世界を周囲へと伝えたのだ。まあ、黒船みたいなものだ。
おもしろいものが、無限に降り注ぐ。そしてそれらにたどり着くために、ページからページへと冒険をする。世界は無限に広がっていて、どこへ行くにも自由なのだ。
つまり、マインクラフトだった。インターネットは神ゲーなのだ。
数年後、ニコニコ動画とかいうゼロ年代後半のすべてを呑み込む砂の惑星が突如として現れる。ぼくは会員登録をすることを禁じられていた(まあ実際、まだ小学3年とかだったわけだし、英断だろう)ので、じつは2012年くらいまでニコニコ動画に会員登録をすることはなかったのだが、その文化を、隣のyoutubeでしっかりと吸収していた。
ニコニコ動画にコメントをしたことはないのに、メルトもぽっぴっぽーもマトリョシカも歌えたし、魔理沙とアリスを区別していたし、それとはまったく関係なく、俺の妹がこんなに可愛いわけがないの黒猫に初恋をした。
youtubeにはニコニコ動画から流れ着いた断片が転がっている。ぼくはいろんなキャラクターがコンビニに行ったり男と女を交互に並べたりする映像を無限に摂取するようになった。
このころ、ぼくは「うp」という言葉を知らなかったので、「うp主」は個人のハンドルネームだと思っていた。このひとめっちゃ動画あげてるんだなあすごいなあ。
絵が全く違うことにも小学生だから気づかないんだな。
で、このあたりでぼくは初音ミクに出会う。どっぷりハマるのはもう少し後だが、その勢いのままに、東方Projectにも出会う。何が琴線に触れたのかはわからないけれど、初めて見た「私立東方学園」「東方バトルロワイヤル」という紙芝居系の漫画の動画(「手書き劇場」なんて呼ばれている)がいたく気に入って、それ以降、東方の動画を漁りまくるようになった。もちろん、二次創作なんていう概念はなかったから、「うp主」さんのオリジナル作品だと思っていた。
ちなみに上記のふたつの作品の作者であるぱげらった氏は、現在、ジャンプ+で「貧乏超人カネナシくん」を連載したり、Twitterでアンケートによってストーリーが決定する漫画を掲載するなどして大バズしている漫画家である。
このあたりまでが、ぼくが名無しのインターネットの消費者として生きていた頃の、原体験だ。
1999年生まれ。ぼくたちの世代は、もうすでに、みんなオタクという次元に突入しつつある。ヤンキーがラブライブを観るし、キラキラJKはみんな初音ミクを聴く。あの頃とは大違いだ。ぼくの知らない「あの頃」ならば、なおさらだろう。
2008~2010年当時、まだオタクは小学校では一般的ではなかったが、ところどころで、アニメが好きな奴とか、インターネットにハマってる奴とかが見られるようになっていた。それらは必ずしも引かれ者というわけでもないが、なんとなくまだマイノリティの雰囲気で、趣味さえ合えばと肩を寄せ合っていた。
ぼくは全く友達がいなかった。
明らかにコミュニケーション能力が欠如していて、そもそもそのおかげで経験値を積むこともできなかった。けれど、小学校高学年あたりで、特に女子のあいだで初音ミクが認知され始めた。
いつだって女子の方が発育がはやいもので、大人の世界を先に小学校に輸入するのは女子だった。
中学に入ると生徒会長の女の子がオフパコをするようにnこの話はやめにしましょうか。
えーっと、とにかく、ボーカロイドが流行し、それを聞くやつら、というグループが形成され始めたのだ。ぼくはそれまでyoutubeでなんとなく聴いていたボーカロイド曲を聴き直すようになった。
いつのまにやら、ぼくはそのグループの中に座るようになっていた。
その間になにが起こったのか、きっと何も起こっていないのだけれど、ぼくはまったく孤立した状態から、初音ミクを通じて、学校の中で、友達というものができるようになった。人と喋ることを覚えた。人っぽく喋るソフトを通じて喋れるようになった人。 #いろいろな人
友達の家に行ってみんなで初音ミクの曲を聴くなんていうのもやった。地獄絵図だが、それでいい。
オタク文化は、コミュニティだ。オタクになることで生まれるコミュニケーションがあり、オタクとしてふるまうことで社会性の第一歩目を踏み出すこともある。
オタクというマイノリティ属性が共通することで、自分たちは仲間だという意識が生まれるのだと思う。そういう意味で、ぼくにとっては、初音ミクというインターネットミームが、社会に溶け込むためのキーパーソンとなったのである。初音ミクを通じて初めて人生が始まったといってもいい。
それは大袈裟か。
そして10年後、ぼくは大学に入学し、大学で東方サークルを立ち上げることになる。オタク文化の小さなコミュニティを統べることになったわけだ。
インターネットとともにある人生だった。そしてインターネットがあまりにも普及した現代、インターネットを通じて、リアルが動くこともある。
この文章をうpすれば、ぼくもうp主のひとりなのだ。インターネットが育つのと同様に、ぼくも成長したってことで、ひとつ。
イイハナシダッタノカナー
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