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残り少ない大学生活に対する、大学4年のひとりごと。

何にも追われない生活の幸せと焦りと

今年も残すところ50日あまりらしい。
うちの学校は2月から春休みで、正月も挟むので学校に行くのはもう3ヶ月もないということに驚きが隠せない。
文化祭が終わり、サークル活動は続けど今までみたいな忙しさになることはもうない。32,000字の卒論さえ書き終われば、“しないといけないこと”はいよいよ本当に0になる。

あまりにも暇で、自由だ。
大学受験が終わって入学するまで、そして入学してからの数ヶ月と似た感覚になる。
しかし違うのは私は春から社会人になるという重く、変え難い事実である。
社会人になるのが嫌なわけではない。ただ、人生の節目にあるということをひしひしと感じているのである。

大学生というブランド

大学1年生の頃は、大人の言う「今ならなんでもできるし何にでもなれる」という意味がわからなかった。
今ならわかる。
一回会社に勤めてしまえば配属の差はあれど、目指せるキャリア、稼げるお金はある程度に察しがついてしまう。それにやりたいことがあっても稼ぎを捨ててまでやりたいかどうか吟味しなくてはいけなくなる。
つまり、良くも悪くもやることの範囲が狭まりやすい。年を重ねていくごとに、挑戦しない十分な理由を見つけやすくなってしまうだろう。
もちろん、「人間、志を立てるのに遅すぎるということはない」という言葉があるように、社会人になったら挑戦ができなくなるわけではない。ただ、幾分障害が多いだけで。仕事が忙しいからなどと諦めてしまったら、新しい学びや人との出会いといった人生の醍醐味とも言える刺激は得られなくなってしまう。
まだ一応大学生なのに「今さら始めても中途半端になるかも」とつい思ってしまう自分に喝を入れたい。何かにつけてやらない理由を探すのは辞めなければ……

後悔と開き直りのバランス

とはいえ、もし今の私が1年生の頃の私に「せっかくのこの自由、思う存分チ新しいことに挑戦してみて」と声をかけたとして、私はその通りにできただろうか?

大学入学当初、私は絶望していたことを思い出す。

皆がこれから待ち受ける大学生活に浮き足立つ中、私は日々に虚無感を感じていた。授業を受けて、なんとなく同じ学科の子とご飯を食べて家に帰る。最初の1・2ヶ月はそんな感じだ。ここでつっこまれるだろう。いや、サークルとか、バイトは?と。
当時、1年間の浪人生活(コロナ禍)を経てすっかり視野狭窄になっていた私はサークル=飲みサー=人と群れて金と時間が無駄になる、と半ば本気で思っていた。なので、サークルの新歓に全く行かなかったのである。今思えば、一緒に新歓に参加しようと言える友達もいなく1人でビビり散らかしていただけとも言えるが。
それに、やりたいことなどなかった。受験というそれまでの人生で最も大きい(と思っていた)壁を超えた先に、一体何があるというのか……
あんなに見たかったはずのSNSもテレビも、楽しいと思えたのは最初の2週間くらいまでだった。次は何を目標に過ごせばいいんだ?と思いながらも行動できずにいた。
だからとても暇だったし、人との関わりも少なかった。流石にこのままではまずいと思い、6月ごろにようやっとサークルを探し始めた。
当時は自分の世間知らずさにショックを受けた。加えて、私は周りの人が敷いてくれたレールに沿っていただけで、自分で何かを選ぶ楽しさも責任も取ってこなかったと気づいた。だから、いきなり与えられた「自由」に不快感さえ感じていた。自分の人生なのだから、自分で行動して作っていくということを自覚していなかったのである。

それでも「今」に目を向けたい

そんな捻くれた私はその後紆余曲折あって学生団体に入り、その次はなんとサークルを作った。他にもインターンをやってみたりなどと自分なりに頑張ってみたのだが、それでも後悔は残る。なかなか有終の美は飾れないものだ。

色々言ったが、学生にしかできないことは確実に存在する。その点、もう取り返せないところまで来てしまった。
しかし、ギリギリまで大学生として足掻きたい。
今何をすれば将来後悔せず、かつ今を未来のために我慢するだけの期間にせずに済むのかよく考え、行動してみようと思う。

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