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二次創作から生塩ノアを好きになった話(備忘録)

『ブルーアーカイブ』盛り上がってますね。

アニメの放送開始と待望の対策委員会編第3章の追加が重なり、先生方は忙しくも楽しい日々をお過ごしなのではないでしょうか。

私もブルアカに対するモチベーションが高くなり、最近はpixivで二次創作小説(以下ブルアカss)なんかを漁っておりました。

今回はそんなブルアカssで生塩ノアに出会った話です。


・生塩ノアって誰ですか?

正直、私は最近まで生塩ノアのことをよく知りませんでした。メインストーリー第2章や最終編で時折登場していましたが、そのときの印象はなんというか「裏方」という感じでした。

同じセミナーでもユウカの方が表舞台に出てくるうえ、メインストーリー上ではあまり彼女のパーソナリティついては深堀りされていなかったこともあり、それほどノアに興味を持つことはありませんでした。

絆ストーリーより

加えて、ノアが実装された(らしい)晄輪大祭のイベントは私がブルアカをはじめる少し前に開催されており、ちょうど彼女が掘り下げられたタイミングを逃していました。

上記のような理由もあり、私のなかでの生塩ノアの印象は「セミナーのメンバーでユウカの友達」くらいに落ち着いていました。今思うと節穴ですね。

そんな私が生塩ノアを改めて知る機会になったのがブルアカssでした。

・ブルアカssの生塩ノア

最近のブルアカ熱でブルアカssに手を出した私は、メインストーリーのなかでは特に第2章が好きだったこともあり、まずはミレニアム周りの二次創作を中心に読み始めました。

すると生塩ノアが結構な割合で出てくる。特に先生とユウカが絡むストーリーではほぼ確実と言っていいほどに登場する。

ミレニアムのセミナー所属なんだからそりゃ当たり前だろと思われるかもしれませんが、前述したように生塩ノアにあまり触れる機会がなかった私にとっては新鮮な感覚でした。

気づけば私は #生塩ノア で検索していました。

すると出てくるのはノア推し先生によるssの数々。

ときにはユウカや先生をからかって楽しんだり、またあるときにはユウカや先生に恋をしたり、あるいは年相応の悩みを抱える少女であったり、と。
好きな作品はたくさんありましたが、なかでも私を特に魅了したのはノアが先生を好きになってしまうお話です。

ここで好きに「なってしまう」と書いたことには理由があります。

大抵のssにおいては早瀬ユウカは先生に恋する生徒の1人として描かれ、その友人であるノアは彼女の恋心に気づいているという設定が採用されています。
つまりこの前提でノアが先生を好きになってしまうと、無二の親友が恋敵になってしまいます。

それに加え、ノアは1度記憶したことを忘れることができない完全記憶能力の持ち主です。二次創作ではこの能力は先生をからかうための設定として使われることが多いですが、一方で先生への恋心を忘却できないようにする枷として使われることがあります。

ブルアカssによってこの2つの設定を知った私は一気に生塩ノアという生徒に惹かれていきました。

だってこんなの切なすぎる。

自分の感情に気づいたら恋と友情を天秤に掛けなければいけなくなるし、気持ちに蓋をしたり失恋したら死ぬまで引きずる。あまりに残酷です。

もし仮に先生に気持ちを伝えたとしても先生は立場上生徒とは懇ろな関係にはならないでしょう。彼女の恋が成就する可能性は(少なくとも生徒でいる間は)限りなく低いのに、その感情から絶対に逃れることができない。

このあたりで、私はノアのことが好きになりかけていました。

とはいえ、「流石に二次創作だけで好きになっちゃマズイでしょ」という思いもあり、ひとまず晄輪大祭イベントと絆ストーリーを触ってみることにしました。

・メモロビまでやってみた(ネタバレあり)

初見ではガラスに書いた文章の解説が一切なかったので正直困惑しましたが、調べてみると割と簡単に出てきました。

ボードレールの詩集「パリの憂鬱」の「異邦人エトランジェ」からの引用と思われる。

『Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ? / 君は誰を一番愛するのか?謎の人よ、聞かせてくれ (訳:村上菊一郎)』

ブルーアーカイブ(ブルアカ)攻略Wikiより

(先生のこと絶対好きじゃんね……)

ここで詩を引用するところもそうですが、それ以上に「私を愛していますか」ではなく「誰を愛するのか」を問うてくるところにノアらしさを感じます。

これはブルアカssでもよく描かれていたことですが、ノアは書記という立場上あらゆる物事から一歩引いて「記録係」に徹しようとします。

それは、彼女があらゆる物事を「記録」し「記憶」することができる才能を持ちながらも、自分自身は誰かに記録されるような存在ではないと思っているから。

実際、絆ストーリーのモモトークでは記録することしかできない自分を卑下する様子がみられます。

モモトークより

絆ストーリーで先生がノアを記録しようと奮闘するシーンがありますが、あのときノアは本当に嬉しかったんじゃないでしょうか。普段は記録する側である自分を記録しようとしてくれる人が現れたわけですから。

彼女がガラスに書いた文字には、「自分は記録されるような存在ではないのだ」と諦観しつつも、先生に記録(記憶)されていたいというノアの本音が込められていたのではないかなと思います。

私はこのメモロビをみることでやっと生塩ノアのことがちゃんと好きになれた気がしています。

・おわりに

長々と書き連ねてきましたが、昔からノアを好いている先生方にしてみれば「コイツな〜んにもわかってないな」と思われるような胡乱な内容だったと思います。あくまでも個人による所感としてお許しいただければ幸いです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。それでは、失礼いたします。

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