クリエイティブ活動と副業マインドは相性がいい/消しゴムはんこ作家・津久井智子さんの働き方②
消しゴムはんこ作家の先駆として、作品づくり、書籍制作、講師活動に忙しい日々を送る津久井智子さん。消しゴムはんこをつくりはじめたのは中学生のときでしたが「まさかこれを仕事にするなんて思ってもみなかった」といいます。特技が喜ばれて天職に結びついた、津久井さんの作家人生をたどりながら、自分らしく表現し、働くために必要なことを聞きました。
津久井 智子 (つくいともこ)
消しゴムはんこ作家。
埼玉県出身、静岡県熱海市在住、猫2匹と暮らす。
15歳から消しゴムはんこを作り始め、2003年から、「はんこや象夏堂」の屋号で、インターネットやイベントでオーダーメイドのはんこ受注制作を開始。国内外での作品展開催をはじめ、『消しゴムはんこ。はじめまして』(大和書房)など著書多数。
どんなに好きな仕事でも、100%が好きな業務とは限らない⁉
好きなことを仕事にしたとしても、業務内容の100%が好きなこととは限らないと思うんです。
私は絵を描くことや指先で何かを作ることと、それを人に喜んでもらうことが大好きで、この仕事を続けているのですが、日々おもにやっている仕事がそうなのかというと、全然おもにとは言えない割合なんですよね。
個人事業なので、そのために付随するお金の交渉やメール返信や荷造り、内職、会計、スケジュール管理、SNS広報などなどなど、本当に好きなこと以外の、苦手だけど自分でやるしかない、という種類の業務が、事実上この仕事全体の7〜8割くらいを占めているんじゃないかという気がしています。
中にはもう嫌で嫌で全部放り出したくなるくらい苦手な分野の雑務も多々あります(苦笑)。
それでも、すべての業務が本質の部分の「本当に好きでやりたい仕事」を支えるために必要な事だとわかっているので、仕事の全体像がつかめていれば納得してこなすことができます。それに付随する面倒なこともどうにか乗り越えなきゃと思っているうちに、知らず知らず鍛えられているところもあります。
「好きなことでお金を稼いでなくては不幸!」と考えすぎると人生がつらくなりそうですが、そう考えるとどっちみち好きなことばかりできる仕事というのは少ない気がするし、逆にあんまり好きじゃないジャンルの仕事でも、その工程の中には、ひとつふたつ、自分の好きなポイントを見つけて楽しめる要素がどこかしらあるんじゃないかと想像します。
「この仕事はどっちかというと得意なほうだし、いつもじゃないけどやっていてすごく嬉しい楽しい瞬間もある。ついでにお金ももらえてラッキー!」くらいに思えれば、じゅうぶん幸運かもな〜と思うところです。
自己表現でお金をいただくプレッシャー
実は、いまだに「自分が作りたくて作ったものに価値がある」と自分自身で確信を持てない自分がいます。
思えば、はんこ屋をはじめた時からずっと、「あなたが欲しいものをカタチにするよ」という、いわばサービス業スタンスでやってきたのですが、本なども出版するようになり、作家のような立場になってから、「注文ではなく、あなたの本当に好きなものを作って、作品展を開いてください」という機会をいただくことが出てきたりして、自分の本質と向き合って作品を生み出す必要も出てきて、そこでハタと「自分が自分のために作りたい作品って何だっけ??」と悩んでしまった自分がいました。
自分の趣味嗜好は脇に置いておいて、目の前のお客さんが欲しいと思っているものを汲み取って、かゆいところに手が届くものを創ること……を目指してきたから、自分の仕事が成り立ってきたような気がしてしまうのです。
自己表現でお金をいただくことに関心がないとも言えるのですが、本当に好きなものを表に出したときに評価されなかったり、興味を持たれなかったりした時に、傷つくのが単に嫌なだけかもしれません。
本当のよろこびは、そこを思いっきり開いた先にあるのかもしれません。それがうまくできてない自分を、純粋に「アーティスト」と思えないフシがあります。
かといって、そこを封印しきるのもつまらなくて、いつも自分らしさのエッセンスをひとつまみ、混ぜたくなる自分もいます。
きっと、求められているものと自分の味を、うまく良いとこ取りしたような、絶妙に折り合いをつけたようなものがいつも作りたくて、それができた時、求められている以上の仕事ができたと思えるのかもしれません。
言われたことをただやるのではなく
自分で考えたい
私の仕事は、「ひとりプロ野球」だなと思って、自分で笑っちゃう時があります。作家というと、1日中椅子に座ってとにかく黙々と掘り続けているという印象があるかもしれませんが、上記の通り、それ以外の業務で奔走している時間の多いこと!
デザインして、彫って、押して、メールして、請求書作って、銀行と郵便局に行って、営業をして、ワークショップもやる。イベント時には、搬入出も設営も、POP作りもします。
江戸時代には、絵師、彫り師、刷り師、版元と、大勢で分業していたはずのことを、こじんまりながら全部自分でやっているという現状です。
自分で投げた球を自分で打って、取って、走って、ついでに観客席のビールの売り子までしているような(笑)……一人で奔走して、回収する。たまに何をしているのかおかしくなりますが、でも、それこそが自分の今生やってみたかったことなんだろうなと思ったりもします。
昔アルバイトしていた時代、成果に関係なく時給でお金をもらって、その仕事の一部分だけを担うことに、やりがいを感じなかったんです。その仕事がどうやって回っていて、どういう反応が返ってくるのか、その流れをダイレクトに把握して、結果に結びつく方法を試行錯誤してみたかった。
アルバイトの調理場できゅうりを切るにしても、ただ言われたように切るんじゃなく、その1切りのクオリティがどうお客さんの反応で返ってくるのかを確かめながら切ることができたら、その方が楽しいし、うんとやる気が出るんだけどな、って思いながら切ってました。
消しゴムはんこ屋さんを自分で運営している今は、自分のアイディアや工夫、そしてお客さんと直接コミュニケーションして、足を使って、回していくことが難しくも楽しくて。
これには、大きい会社に雇用されて仕事全体のうちの1部分だけを任されるような仕事や、チームプレイの仕事にはない大変さと面白さの両方を感じます。
その良い面・悪い面の両方を体験してみたくて、今のような1人で全部やるスタイルを選んだ結果、今に至るのかもしれません。
仕事は忙しい人のところにやってくる、らしい
すごく若い頃に誰かに「仕事ってのは暇そうな人のところにはまわってこないんだよ、忙しい人のところに来るんだよ。」と言われたことがずっと頭に残っています。
行列ができているお店と閑古鳥のお店だと、行列ができているお店に行きたくなるのが人情。仕事も全く同じで、忙しそうにしている人のところのほうに頼みたくなるものだ、ということかな?と、当時の私は思いました。
「仕事ください!」って血眼になっている人って、「仕事に困ってます!」って感じがするし、仕事に困ってなさそうな人に仕事頼みたいなって思うでしょう。
それもあって、自分から「仕事ください!」と言って回らないといけなくなった時は、この仕事を辞めたほうがいいんだろうなと思ってやってきました。
でも、これは最近知ったのですが、その心は「忙しい人の方が、暇な人よりも仕事が早いから」なんですってね!!
コロナ禍で知ったのは、人間、暇な時間ができればそのぶん有意義に働くのかと言ったら、実際そうでもないということでした(笑)。
暇な時ほど目の前にある仕事をさっさと済ませることができないもので、忙しい時の方が時間を無駄にできないから、効率よく密度の高い仕事をしようとすることになる、ということなんですね。
じゃあ私がいつも忙しくしているかというと、私は、暇でも忙しくても、とにかく仕事が遅いので、いつも納期を前に切羽詰まっています。結果、「あの人いつも忙しそうで、きっと引っ張りだこなんだね」って誤解してもらえているなら、結果的にいいのかな?ということにしています。いいのかな?
どうあれ、いつも、「この人にお願いしてよかったな」と思える仕事ができたらいいなと思っています。