世間は誰かの労働でできている。
朝のプラットホームで列車を待ちながら思ったこと。
その日は布団でぬくぬく過ごしたい時間を労働に充てた日。私の中で、労働は時間の切り売りになっていた。
「もっと研究活動に注力するように」
指摘を受けたのは、折悪しくも面接を受けた直後。
3日目にして(な~んで掛け持ちなんか始めちゃったんだろう・・・)
元々お世話になっていた職場の勤務日数がコロナの影響で減ってしまったことと、卒業後の費用を貯める目的で目先の時給1000円に食いついたことを後悔する。
出勤は、なんとか通学に3時間半かけている私が研究と両立できず自滅してしまわない範囲に留めてもらうことが出来ている。今のところは。
ただでさえ人手不足なのだろう、そう簡単に辞められてしまうぐらいなら月3日でもいいから来てくれ、といった具合らしい。
仕事内容はメイドという名の肉体労働。華やかなのは響きだけ。
社員さんは常時苛立っているように見てとれ、お昼を挟んではいるものの休憩時間はない。電話口で部下らしき人に半ギレ口調で命令している所に遭遇することもしばしば。私もたまに当たられることがあるけれど、
(私のように二度寝やジョギングに充てたかった時間を仕事に持っていかれるのが毎日続けば鬱憤も溜まるでしょうねぇ)
と、ひそかに同情する。アルバイト雇用前提の職場なら特有のストレスもあるでしょうし。(パワハラ発言は感心しないけどね)
就活を始める前から「やりがい」とか、「ライスワーク」から「ライフワーク」への転換云々、とよく聞いていた。けれど蓋を開けると、賃金と引き換えに時間や労力を売らざるを得なくなってしまっている状況はどこにでもある。
1年前の就活に燃えていた私は、恥ずかしながらすべての仕事に(アルバイトを含め)当然のようにやりがいを見出せると信じて疑っていなかった。
現実、仕事に前のめりどころか後ろに反り返ってしまっている。
まだ社会に出ていない若造に仕事の何が分かる、と批判されてしまいそうだけど、この時間の’‘切り売り’’を通じて就活中に無かった見方を得られたのは良い経験かもしれない。
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