誤魔化せない本質を生み出す
何かを生み出す時、そこには本当の自分が現れる。
絵や文章、音楽に写真、折り紙だったり縫い物だったり、文字にも、料理にも、コーヒーにだって。
言葉や表情など表面的に見聞きできるものは誤魔化しが効くけれど、うちから出るものは誤魔化そうと思っても不可能だ。
人のことが知りたい時、私はその人の文字を見る。
丸っこくて可愛らしい字、整った大人っぽい字、バランスがあまり良くない字、いろんな文字がある。
ああ、ちょっと不器用さんなんだなぁとか、表には出していないけど芯があってしなやかな方なんだろうな、この人はとっても真っ直ぐ突き進む性格がそのまま出てるなぁとか印象と合っていたりいなかったりするのをみるのがとても面白い。
自分のことが知りたい時は、私はコーヒーを淹れる。
ワクワクしている時、心穏やかな時は雑味がなく、とても美味しいコーヒーが淹れられる。
悲しい時、怒っている時、モヤモヤしている時に淹れたコーヒーは全然美味しく無い。
調子が普通だと思っていても、全く美味しく無い事がたまにある。その時は自分でも気づかないところで疲れていたり、なにかが引っかかっている事がある。そうか、私は今調子が悪い所があるのか、と気づかせてくれる。
何かを生み出すとき、そこにはその人の誤魔化しの効かない生き様や本質が現れる。
それは時に残酷であり、焦ったくもあり、尊い。
だから今日も私は、恥ずかしくない自分でいるために、これが私の生き様だと胸を張れる様に、何かを生み出してはがむしゃらに生きるのだ。
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