なんとなく
考えている。自分なりのロジックだってあるし、そこに至るまでのきっかけからアリの巣の様に展開していく発想の過程はひとつも欠けてはいけないし、ひとつひとつがきらきらとしている。
だけど、人になぜこの形に?結果に?と問われると、なんとなく…でまとめてしまう。
そもそも、私は非現実的でちょっぴりドリーミーな発想と、論理的発想を組み合わせちゃったりする。相反する二つのものがぴたりとはまった時の私だけが宝物のありかを知っちゃったみたいなのが大好き。そしてみんなにも教えたくなっちゃう。
その過程にはさまざまな思考、ひらめき、情報収集、時間,展開が幾層にも重なって絡まっていて、いかんせん口下手な私が説明するとなると1からその過程を追っていかなくてはいけないので、話が長くなる。
その過程は自分にとってはすごくすごく大切で、宝物の様になっているけれど、他人からしたらちっぽけでえ?となるような、絵空事に聞こえるかもしれないとどこか心の底で考えているのだろうか。
はたまたその過程によって捉え方を限定してしまうより、目の前にあるものをその時のあなたが感じた様に捉えて欲しいのかもしれない。
その時、その瞬間を愛でていたい。
結果的に、まぁ、なんとなくです!と答えてしまい、おお、こいつ何も考えてないな。あほや。と捉えられるのかもしれない。
それもまぁ悪くはないのだがね。
あ、それを承知の上で聞くよ。と言って貰えると、意気揚々と鼻息荒めになったりするから気をつけてね。
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