LIVE(=生) (3月)

たくさんライブを見た。なんとなくコロナ前に戻ったみたいな日々でとても楽しくて、充実していて、身体が動くうちはこんな風に生きていたいなと再認識した。


ライブが生きがいですか?音楽やお笑いに救われていますか?と聞かれたらなんだか大袈裟ですこし小っ恥ずかしい(何故か気取っている感じがするので)けれど、実際はほぼそれに近い感覚で生きているのだと思う。

もっと毎日のように現場へ足を運んでいる人はいるだろうし、暇さえあれば音楽を聴いているひと、芸人のラジオを聞いている人はいると思う。

その人たちと比べてしまえば自分なんてのはライト層だし、生きがいや救いなんて言ってよいのかという気になるだけの話だ。


でも、生で見ることの活力って本当にすごいと思う。

次のライブも楽しみだなと思うことは、無意識に寿命を延ばしているのだ。


予想のつかない瞬間の連続で構成された60分から120分のライブという時間は、本当に目が離せない。

自分でも、何が良いのか、何が刺さっているのかはもはや分からない。けれど生で見ることにこだわっている自分がいる。




解散したバンドの曲を聞くのが嫌だ。

それ以上新しい音楽が聴けないし、何よりライブに行けないし。


今聞いているバンドも、いつかは解散したり、解散休止したり、私より先に寿命が尽きたり、どんな理由であれライブが見れなくなってしまう日が来る可能性が高い。嫌すぎる。


いつか来るそんな悲しくて最強に辛い日のためにも、今は出来る限り足を運ぶべきなのだ。

終わりを決めた誰かに対して、もっと自分がこうしていればと後悔しても遅いのだ。もうその人は決意を固めているわけで、悪いのは思った時に行動を怠った自分なのであり、内省はしても後悔はするべきじゃない。たまに、自分は本当に耳が痛くなるような言葉を書くよなと思うよ。それは自分にとってそうなだけであるような気もする、自分の弱い部分をわかっているからこそそこを容赦なくつけるというところもあると思うし。


たまにライブ中にも同じことを思ったりする。

物理的じゃなく、精神的に耳が痛くなるような言葉だったり、音だったり。イヤホンで音楽を聞いている時にはあまり感じないのに、ライブではそれがある。


GENの「考えすぎて自分ってものがなんなのか分かんなくなってるんじゃないの」という言葉をはじめて聞いた日の刺さった感といえば異常であり、今となっては定番のMCになって、感動もそこそこになってしまっていますが。

MCだけじゃなくて、もう空で歌えるくらい聞いた曲の歌詞も、その日限りの曲間の繋ぎも、ふとしたタイミングで心にずばんと突き刺さることがあって、”それ”の大抵はどれだけ頑張ってもすぐには言語化できず、あとから気持ちを整理している時にふとその瞬間のことを思い出して、行ってよかったなと思ったりするものなのです。




ライブをライブと名付けた人はすごいですね、あまりに言葉が的確すぎる。

講義で「散歩する侵略者」という映画を見た、宇宙人が地球人から言葉の概念を奪っていくというやつ。

映画の中では「愛」とかが奪われて登場人物の人格が変わっていくんだけど、私から「ライブ」という概念が奪われたらどれだけ生き方が変わるのだろうと。作中で奪われるものと比較するとちっぽけに感じるかもしれないが、それほど私の人生の中では重要な概念なのだと、自分の無意識に発見させられたのであった。





映画「グリーンブック」

言わずもがなめちゃくちゃ良い映画、思い出したらまた見たくなってきた。

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