もも子はとわ子を見て思う
今更?と思われるかもしれませんが、「大豆田とわ子と3人の元夫」を見ました。
結婚も離婚もしたことないし、めんどくささこそが愛しいという友達は少ない私ですが、とわ子の生き方には考えさせられるものがありました。
最近、何も頑張れない日々が続いていて、日に日に自信がなくなっていきます。就活を終わらせたことによるお疲れ様バブルももう過ぎ去り、家族からの風当たりもどこか冷たくなったように感じたり。
私は何もしていない自分を許せないのです。
以下ネタバレを含みます。
第2話の最後に、とわ子が中村に「私、別れたけれど、一緒に生きてると思ってるよ。」と伝えていました。
2人の昔の間柄が、ただのカップルだったら受け取り方は違っていたなあと思います。一度でも一生一緒にいると覚悟をしたというフィルターが、その言葉に重みや優しさを与えていて、たったそれだけのはずなのに、覚悟っていうのはすごいなあと思いました。
まだ私はそのような覚悟を持たれたこともないし、持ったこともないし、これから持つのかさえも分からなくて、結婚願望とはまた少し遠くのところで、覚悟を持った先の自分が気になったのでした。
第6話は本当に濃いエピソードですよね。
地獄の餃子会でも名言が飛び交うし、かと思えばかごめが亡くなっちゃうし。
いやいやそんな描写一切なかったじゃない!ってなるんだけど、悲しみとはそういうもので、
悲しいことは、突然やってくるということを忘れた瞬間に起こる と思っている節があって、常にそれを忘れないようにしないとと思って過ごしていると、あれ私何が楽しくて 楽しみで生活しているんだっけと よく思います。
けど正直書いてしまえば、それらは数晩ライブに行ったり飲みに行ってしまえば薄れていく気持ちで、私はそれが悔しいなと思うわけです。
その中で、ひとつでも自分がやりたくてやっていることがあると、悔しさもそういうもんだと受け入れられる不思議。受動的なことばかりだと自分が嫌いになる虚しさ。
この世にある娯楽は素晴らしいものばかりなので退屈することはありませんが、鬱屈とする時はあります。せめてその娯楽たちを自分の承認欲求に使わないようにしようという自戒だけが私という形を保ちます。
とわ子が第7話で、1年後には悲しいことを忘れてヘラヘラしてる自分についてお話してるシーンを見てそんなことを思いました。
迫り来る卒業以外にも制作の予定は立てるべきですね。何かをはじめたい気持ちのまま過ぎていった最近もそれはそれで非常に愛おしい日常でしたが、私はもう少しアグレッシブな自分の方が好きかもしれないので、明日はたっぷり時間を使って考えたいと思います。
おやすみなさい。
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