選んだわけじゃないけど、その時は来るみたいだ…

さて、2024年も4分の1が終了いたしました。


最近のことといえば、パソコンを水没させました。

手を滑らせて持っていたお湯を全こぼし。


まあなんとなく大丈夫だろうという気持ちでいましたが普通に全然ダメでした。なんとかならないこともあるのだと教えられました。中古でとりあえず買い直した、辛すぎる出費に大泣き。早く忘れるためにもまたパソコンに貼りたいステッカーなどを手に取り始めないと…。


先達が書いた記事を読み漁るところによると、データを復活させるためにかかるお金も相当なものらしく、かなり悩んだ。正直私は他人から預かっているデータも機密情報も保有していないし、所詮大学生のパソコン。復活させるべきデータなどそんなにない。

学祭運営に関する書類は全て後輩に渡したし、就職活動に関する書類は一度メモに書き起こしているのでiCloudが残してくれている(これが本当に神すぎる)。唯一思い出したのが卒業論文で扱う取材データ。それだけはあのパソコンの中にしかなかった。終わった〜〜〜〜!と思ったのも束の間、取材音声をiPhoneで録音しておいた。自分のリスクヘッジ力に感動した。本当にありがとう過去の自分。私はこれからも未来の自分のために、動いてゆくよ…そう思った。

けど普通に良いことなんてのは全くなかったので皆さん気をつけてください。


新しいMacを買って、3年ぶりの初期設定なのですが、リアルタイムで変換される機能って案外便利なんですね。今まではたまーに人のパソコン触った時に厄介だなあと思っていたのですが、実際使ってみると本当に便利すぎる、時短も時短。




話は変わりまして、先月末は江ノ島へ工藤祐次郎さんのライブを見に行きました。

なんだかんだ初めて江ノ島の奥まで行って、これが江ノ島エスカーか!なんて思ったりして、天気も良くてすごく良い日でした。


ライブでは大好きな曲「最高の別れ!」を聴くことができて、久しぶりにすこし泣きました。

前日夜更かしをしていたせいで途中うとうとして、こっそり隣を見たら一緒に来ていた人も目を瞑りながら揺れていて、音楽って良いな〜と思った。昔は一人でライブに行くことなんて余裕だった(今でも余裕ではある)けど今は人とライブを見ることが凄く好きで、その変容って自分が誰かに悩みを話せるようになったり頼れるようになったりした時期と近いような気がして、他人と気持ちを共有することに対しての後ろめたさが消えていったんだなあと思う。

ライブハウスも凄く良いところで、えびせんとポップコーンがセルフサービスだったんですよ。一緒に行った人が「えびせん山盛りに盛ろう」と言っていて、この人のこういうかっこつけないとこ楽だなあと思ったりもしました。


〜たり、という接続はその後にも〜たりがないといけないという日本語のルール、人に読んでもらうことが前提の文章では一応気にしているけど全然いらないルールですよね。普通に行間読んでくれと思いながら強引に〜たりで繋げてることばかりで、正しさや正解ってなんなんだろうと思う。


きっと意味のないことばかりですよ。ルールなんて。

それでも従ったふりをできているみなさん、誇っていいですからね。ルールをはみ出る人たちに憧れる日もあるでしょうが、そのままでいいんですよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?