第一次世界大戦後に退位したドイツの20人の君主たち
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今回は第一次世界大戦後に退位したドイツの20人の君主たちについて書きたいと思います。
第一次世界大戦後に退位したドイツの20人の君主たち
⬛敗戦前の状況
ドイツの敗戦処理を任されたのはバーデン大公家の軍人であり政治家のマクシミリアン・フォン・バーデンでした。彼はバーデン大公の従兄弟にあたります。10月3日にドイツ・プロイセン宰相に任命されます。
マクシミリアンは休戦協定反対派の参謀次長エーリヒ・ルーデンドルフの解任を皇帝に要請し、その後任にヴィルヘルム・グレーナーを就任させます。
マクシミリアンは皇帝ヴィルヘルムを退位させ、孫のヴィルヘルムに皇位を継承させようとしていました。
しかし、ヴィルヘルムは退位を拒否したため、マクシミリアンは11月9日に独断でヴィルヘルム2世の退位を宣言、ドイツは皇室廃止への流れに進みました。
参謀総長のパウル・フォン・ヒンデルブルクの進言により皇帝一族はオランダに亡命、正式に退位宣言に署名することになりました。
⬛ドイツ皇帝
ヴィルヘルム2世
プロイセン王国ホーエンツォレルン家
エルンスト・アウグストブラウンシュヴァイク公爵が退位した翌日の1918年11月9日にヴィルヘルム2世は退位させられました。
⬛ドイツの3人の国王
ルートヴィヒ3世
バイエルン王ヴィッテルスバッハ家
フリードリヒ・アウグスト3世
ザクセン王ヴェッティン家
ヴィルヘルム2世
ヴュルテンベルク王ヴュルテンベルク家
11月8日にバイエルンのクルト・アイスナーがバイエルン人民政府を宣言し初の共和国首相となり、バイエルン王とザクセン王は共に11月13日に退位させられました。ヴュルテンベルク王は11月30日に退位させられています。
⬛5人の大公・5人の公爵・6人の侯爵
大公
フリードリヒ2世(バーデン大公)
エルンスト・ルートヴィヒ(ヘッセン大公)
フリードリヒ・フランツ4世(メクレンブルク=シュヴェリーン大公)
フリードリヒ・アウグスト(オルデンブルク大公)
ヴィルヘルム・エルンスト(ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公)
公爵
ヨアヒム・エルンスト(アンハルト公)
エルンスト・アウグスト(ブラウンシュヴァイク公)
エルンスト2世(ザクセン=アルテンブルク公)
カール・エドゥアルト(ザクセン=コーブルク=ゴータ公)
ベルンハルト3世(ザクセン=マイニンゲン公)
20人の君主の中で最も早く退位させられたのが、バイエルンのクルト・アイスナーが共和国を宣言した11月8日に、エルンスト・アウグストブラウンシュヴァイク公爵が退位させられました。
侯爵
レオポルト4世(リッペ侯)
アドルフ2世(シャウムブルク=リッペ侯)
ギュンター・ヴィクトル(シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯)
フリードリヒ(ヴァルデック侯)
ハインリヒ24世(ロイス=グライツ侯)
ハインリヒ27世(弟系ロイス侯)
⬛レーテ共和国
この時の君主の退位と連動する形で、バイエルン・アルザス=ロレーヌ・ザクセンにレーテ共和国が成立します。アルザス=ロレーヌはその後すぐにフランスに併合されます。
1919年になり、北部のベルリン・ブレーメンでも革命運動が展開されブレーメンでもレーテ共和国が成立します。一方ベルリンでは革命運動が失敗し、ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトら革命指導者が殺害されました。
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最後に
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