【国際関係委員会国際機構小委員会】フレイザー委員会
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今回はフレイザー委員会の英語版Wikipediaの翻訳をします。
翻訳のプロではありませんので、誤訳などがあるかもしれません。正確さよりも一般の日本語ネイティブがあまり知られていない海外情報などの全体の流れを掴めるようになること、これを第一の優先課題としていますのでこの点ご理解いただけますと幸いです。翻訳はDeepLやGoogle翻訳などを活用しています。
翻訳において、思想や宗教について扱っている場合がありますが、私自身の思想信条とは全く関係がないということは予め述べておきます。あくまで資料としての価値を優先して翻訳しているだけです。
フレイザー委員会
国際関係委員会国際機構小委員会(別名:フレーザー委員会)は、1976年と1977年に開催され、「コリアゲート」疑惑の調査を行ったアメリカ下院の委員会である。委員長はミネソタ州のドナルド・M・フレイザー下院議員であった。1977年11月29日に公表された同委員会の447ページに及ぶ報告書は、韓国国家情報院(KCIA)が、韓国政府の政策に有利なようにアメリカの機関を表向きと裏向きで操作する計画について報告した。
公聴会
同委員会は、韓国と米国の関係について広範な調査を行い、一連の公聴会を開催した。この委員会の公聴会は非常に大きな反響を呼び、当時のアメリカの報道機関ではコリアゲートという言葉が使われ始めた。
この公聴会で、金炯旭元KCIA局長は、朴東宣がワシントンDCでロビー活動をする代わりに便宜を図ったことを証言し、公聴会の1カ月前に韓国の朴正煕大統領から証言の説得を受け、証言するなら誘拐か暗殺を命じられたと証言した。
アメリカの統一教会の様々なメンバーは、教会員が議会への働きかけの試みに関与していたと証言した。アメリカ統一教会の指導者であるダン・フェファーマンは、公聴会の間、完全な協力を拒否した。
フレーザー報告書
委員会は、フレーザー報告書として知られるようになった調査結果を公表した。委員会の報告書は、ホワイトハウスに情報網を仕込み、アメリカの議会、ニュースメディア、聖職者、教育者に影響を与えるという韓国側の計画があったというものであった。報告書は、ニクソンが韓国から米第7軍師団を撤退させた直後の1970年に、韓国人実業家の朴東宣がロビー活動を始めていたことを明らかにした。
委員会は、KCIAがアメリカ統一教会の創設者である孫文と協力していたこと、教会のメンバーの一部が議会事務所でボランティアとして働いていたことを明らかにした。彼らは一緒に韓国文化自由財団という非営利団体を設立し、大韓民国のための公共外交キャンペーンを行っていた。委員会はまた、ウォーターゲート事件における統一運動のリチャード・ニクソン支持キャンペーンにKCIAが影響を与えた可能性を調査した。
委員会の報告書は、KCIAがアメリカの大学に資金を提供し、政治的な影響を与えることを計画していたことも明らかにした。また、KCIAはアメリカに住む韓国人が大韓民国政府の政策に抗議した場合、嫌がらせや脅迫を行ったと述べている。
余波
この調査を受けて、下院公務執行基準委員会は、アメリカ合衆国下院議員に対して告発を行い、審理を行った。下院議員リチャード・T・ハンナは、アメリカ政府を欺くための共謀の罪で有罪判決を受け、6ヶ月から30ヶ月の禁固刑を言い渡された。
倫理委員会は、エドワード・R・ロイバルがパークから1000ドルの贈答品を受け取ったことを報告しなかったとして、問責を科した。他の2人の下院議員、チャールズ・H・ウィルソンとジョン・J・マクフォールは叱責された。4人目の下院議員、エドワード・J・パッテンは無罪とされた。委員会は、エドワード・ダーウィンスキが韓国当局に機密情報を漏らしたという主張を調査したが、結論は出なかった。
金炯旭は1979年10月に失踪したが、当時KCIAの長官であった金載圭の命令で暗殺されたと伝えられている。
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最後に
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