【私たちが知らない共産主義国家】ハンガリー・ソヴィエト共和国のユダヤ人指導者たち
以前にハンガリー・ソヴィエト共和国のWikipediaの記事を翻訳しましたが、その記事の中に興味深い画像があります。
画像の下には、ハンガリー語で「ハンガリー・ソヴィエト共和国の革命的な統治者」と書かれています。上部は「トルナイ世界新聞」という意味のようです。
私はこれまでハンガリー・ソヴィエト共和国の指導者の多くがユダヤ人だったと言ってきました。それではこの画像で肖像入りで掲載されている指導者たちの何人がユダヤ人なのかを、見てみましょう。
指導者19名の内、14名が確実にユダヤ人であることが知られています。ロシア十月革命の指導者や、ドイツ革命の指導者の多くがユダヤ人だったように、ハンガリー・ソヴィエト共和国政権もまたユダヤ人が占めていました。
この政権の名目上のトップはガルバイ・サンドルという非ユダヤ人でしたが、実質的な指導者はクン・ベーラと言われています。
クン・ベーラの生涯については既に翻訳していますので、そちらを参照くださると良いと思います。
学校で、ハンガリー・ソヴィエト共和国についての詳細を学ばない理由が分かりますよね。
今回はここで紹介されている14名のユダヤ人を簡単に紹介したいと思います。
クン・ベーラ、実質的なハンガリー・ソヴィエト共和国の指導者。カーロイ・ミハーイ政権を打倒し、ハンガリー・ソヴィエト共和国を樹立したが、ルーマニアにブダペストを制圧されオーストリアに亡命した。
サミュエリ・ティボール、クンと共にロシア内戦を戦った。ドイツのスパルタクス団結成に参加、ハンガリーのレーニン青年団の指導者の一人。ブダペスト制圧後、オーストリア当局に捕まり自殺した。
ベーム・ヴィルモシュ、アスター革命に参加してベリンケイ政権を支えたが、共産党に転じ、赤軍司令官となった。
ヴァルガ・イェネー、財務省を務めたが、ブダペスト制圧によりオーストリアに逃れた。コミンテルンに参加し、ポツダム会談に臨席した。
クンフィ・ジグモンド、アスター革命後、ベリンケイ政権で教育相を担当。共産党に寝返ったが、後にオーストリアに移住し活動を続けたが自殺した。
ポガーニ・ヨゼフ、元社会主義者で、共産党に参加し、戦争人民委員に任命された。のちにオーストリアからソヴィエトに逃亡、ドイツ、後にアメリカに渡り、アメリカ労働党中央執行委員のメンバーとなった。
ヴァーゴ・ベーラ、内相を務めたがその後ソ連に逃亡、スパイ容疑で処刑された。
ローナイ・ゾルターン、司法相を務めたが、政権崩壊後オーストリアに逃亡した。フランス、ベルギーへと移ったが、ナチスによるベルギー侵攻により自殺した。
ランドレル・イェネー、内務人民委員。政権崩壊後オーストリアに逃亡、その後はカンヌで亡くなった。
サーントー・ベーラ、人民防衛委員を務めた。政権崩壊後、オーストリアから、モスクワに逃亡した。共産党から追放されたが名誉回復し、戦後、ハンガリーに戻った。
サドバス・サーンドル、元ハンガリー社会民主党の左派。後に共産党に加わり、教育人民委員を務めた。ブダペストで逮捕されたが逃亡し、ソ連に逃れた。
ルカーチ・ジェルジュ、ハンガリーの哲学者。ソヴィエト共和国では教育文化相を務めた。戦後ハンガリーに戻ったが、1957年に政界からの引退を強いられた。
ハンブルゲル・イェネー、農業人民委員。ソヴィエト共和国崩壊後はソ連で放射線科医を務めた。
ヘヴェシ・ギュラ、化学者。社会生産人民委員。ヨーロッパで逃亡生活を過ごした後にソ連に移った。一時強制労働収容所に送られたが、戦後、ハンガリーに戻った。
ハンガリーは戦後も共産主義者のユダヤ人指導者による支配を受けましたが、次第に影響力は低下していったように思います。それはまた別の記事で紹介していますので、そちらを参照ください。
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