リュック・ヌフォンテーヌ『フリーメーソン』
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今回はリュック・ヌフォンテーヌ『フリーメーソン』からの引用とそれについての個人的な考えをお話ししたいと思います。記事中には私個人の偏見や認識の誤りも含まれていると思います。その点のご理解のほど、よろしくお願いいたします。
学問・思想・宗教などについて触れていても、私自身がそれらを正しいと考えているわけではありません。
序文
これまでフリーメイソンについて、記事で何度か触れてきましたが、リュック・ヌフォンテーヌの『フリーメーソン』と、その著作についての意見を述べていませんでしたので、この記事で取り上げたいと思います。
カトリック教会とフリーメイソン
18世紀のフランス革命前夜のカトリック教会とフリーメイソンそしてカトリック教会以外の諸宗派・諸宗教がどのような関係だったのかが分かる文章です。フランス革命がフリーメイソンの陰謀であるという説は様々なところから提示されていますが、中でも有名なものの一つが、神父のオーギュスタン・バリュエルの『ジャコバン主義の歴史のための覚書』(1797)です。以前に紹介していますが、バリュエル以前にも、フランス革命にフリーメイソンが関わっていたことを示す著作は存在しています。
フリーメイソンによる陰謀論への批判として、リュック・ヌフォンテーヌは三部会にフリーメイソンがいたことを認めていますが、それぞれに意見がバラバラで、統一見解も、統一行動も持っていないとしています。この主張は実際に正しいと思いますが、しかしながら、メイソンのメンバーが互いに通じていたかといえば、恐らくある程度の繋がりがあっただろうということは推測に難しくありませんし、メイソン全体として統一見解や統一行動を持っていないとしても、それぞれのロッジや派閥では一定の統一見解や統一行動は見て取れます。
フランス革命以来、フリーメイソンの理想である、自由・平等・友愛の内、確実に最初の二つ、自由と平等の理念を全人類に普遍的な価値であるとして宣伝し、それに従うようにすることに成功しています。現在の人権思想も自由と平等という価値の普遍化は確実にフリーメイソンの意志によるものといっても言い過ぎではありません。
パリ・コミューンとフリーメイソン
パリ・コミューン議員に多くのフリーメイソンが参加していましたが、付け加えなければならないのは、パリ・コミューン議員には、多くの第一インターナショナルのメンバーである共産主義者や無政府主義者がいました。
フリーメイソンを語る上で、第一インターナショナル、第二インターナショナル、第三インターナショナル(コミンテルン)、第四インターナショナルなどについて言及する必要があると私は思っています。何故、歴史上、この非公式な国際的仲良し組織に過ぎないようなものがこれほどまで重要視されているのかを私たちは知る必要があります。
カトリック教会とフリーメーソンおよびユダヤ人
フランス革命はフリーメイソンとユダヤ人による陰謀であるという説が19世紀初めには既に存在していたようですが、実際に20世紀初頭に起こったフリーメイソンによるロシアで起こった十月革命の首謀者の多くがユダヤ人であったという事実からも、フリーメイソンとユダヤ人の関係性については現在も多くの人々の間で議論されています。
カトリック教会によるフリーメイソン批判には悪魔崇拝と結びつける傾向があります。しかし、私たちが注意しなければならないのは、基本的にカトリック教会は、非カトリック的なものは何であれ悪魔的なものとして表現する傾向があるということです。これはカトリック教会に限らず、キリスト教全般について言えることだと思いますが、反キリストでなく、非キリスト教的なものも、もちろん洩れなく悪魔的なものとされます。
これが実際のフリーメイソンの活動が実際にどういった活動なのかというものを曇らせます。しばしばフリーメイソンにとっての神は、ルシファーやバフォメットと呼ばれる悪魔であるとされていますが、フリーメイソン自体が秘密主義的なところがあるために、これらの情報をどこからどこまで信じていいのかが判然としません。
ただし、フリーメイソンの加入条件が、神を信仰しているという点からも、これらの説は、実際には有力な説として排除できない所があります。フリーメイソンの加入条件は「特定の神」、例えばヤハウェという風に進行する神を限定していません。従って、それがルシファーであろうと、バフォメットであろうと、例えば子供を生贄に捧げるバアル神やモレク神でも、インドの破壊神であるシヴァ神でも構わないわけです。
そういう意味では、カトリック教会がフリーメイソンは悪魔崇拝だという批判は確かに妥当性のある批判には思えますが、ただ、日本のように特定の神にあまり執着しない文化の影響を受けている私の感覚としては、悪魔崇拝というカテゴリは、やや大きい括りに感じられます。
イタリアとロシアのフリーメイソン
マッツィーニ派がロンドンではじめて開かれた第一インターナショナルで当初指導的な役割を示そうとしたことは有名ですが、第一インターナショナルには、いずれにせよ、各国の秘密結社員の影がちらつきます。マッツィーニ派がロンドンで活動していた頃、イギリスにガリバルディが熱狂的な歓迎を受けていたという事実がありますが、これにもフリーメイソンが関わっていたのではないかと個人的には思います。
ロシアではフリーメイソンが廃止された頃から、ロシア皇帝は何度も秘密結社員による暗殺や暗殺未遂にあっています。ナロードニキによる虚無主義がテロを生んだというのが定説ですが、調べてみると、暗殺犯は概ね秘密結社員であることが知られていました。
フリーメイソンを禁止したのがボルシェヴィキ政権であると世間的にみられているかのように筆者はここで誤った誘導をしている節があります。なぜなら、筆者がボルシェヴィキ政権こそがユダヤ・フリーメイソンによるロシア帝国転覆の陰謀だったという説を知らないはずがないからです。
アメリカとフリーメイソン
モーガン事件は比較的有名で、Wikipediaで検索するとより詳細に事件の内容を知ることができます。アメリカではその後、決して大きな政党ではありませんでしたが、反メイソン党という政党があったほどです。アメリカ合衆国のフリーメイソンの大統領は、ワシントンを筆頭に多数いますが、筆者が何故わざわざ二人のルーズヴェルトを出したのか疑問です。ルーズヴェルトについてはフリーメイソンであると同時に、別の疑惑があります。恐らく筆者はこの点を知っていて敢えてルーズヴェルトの名前を挙げているよう個人的には感じます。
メーソンの象徴体系
フリーメーソンが薔薇十字団やユダヤ教のカバラなどの影響を受けていることはこれまでも指摘してきましたが、フリーメイソンの特徴は、これはアブラハムの宗教の特徴とさえ言えるかもしれませんが、非常に象徴を重視する体系であり、私個人としてはシンボリズムであると思っています。何が何を象徴するというものの積み重ねは、ハッキリ申し上げますと非科学的な活動であり、私はハッキリと非科学的なカルトであり、悪い意味での精神主義だと思っています。
フリーメイソンには一種の知性主義的な側面もありますが、同時に反知性主義的で、彼らが批判したいはずのカトリック的な教義主義と、大きな違いを生み出せていないと思います。しかし、そういった教義主義がフリーメイソンを主体とした現代の国際諸組織のなかに上手く隠れることができずに、馬脚を露しているというのが実態であり、この教義主義に世界が振り回されていると考えるべきではないかと個人的は思います。彼らの政策の一切は決して科学的なものではなく、独善的で教義主義であり、下らないシンボリズムの体系であるというのが私の彼らに対する批判になります。
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最後に
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