「小説家になろう」と「作家性」と「プライド」
小説家になろう、での投稿を本当に久しぶりに行った。
なろうを離れて3年目、今作はカクヨムとの同時投稿。どうなることやら。続報があったらまた書きますね。
なろうを眺めてみて思うのは、人気ジャンルとそうでないジャンルの差がくっきりしてるね、という話。ハイファンタジーで日刊ランキングに載ろうものなら1日で180ポイントも集めなきゃいけないのに、ローファンタジーなら22ポイント……推理に至っては2ポイント、というかランキング45位までしか表示されてなかったけど、過疎ってレベルじゃない。
これを「淘汰」と表現してその悪しを語る――なんていうのは、きっと他の誰かがやっているからそこに譲ることにして、作者として思うところを少しだけ書きたい。
大人になってしまった僕は、なろうを読むことに抵抗はないが、なろうの文章を書くことに少しだけ抵抗を感じてしまっている。
なろうの文章は基本的に一人称で構成されていて、一度公募用のラノベを書いてみると愕然とするレベルで文章力に差がある。
誰でも書けるし、文章の巧拙によって作品の良し悪しが決まるわけじゃないというライトノベルの本質を衝いていると同時に、決まったストーリーテリングが要求される世界になっている。
俺はなんとなく外に出たかった。
そこにはアイリスがいて、俺に気付いて手を振る。
「どうしたの、アレン」
☝みたいな会話ですら、まだなろうに落とし込めていない。なろうを馬鹿にしているわけではないが、個人的には小学四年生の感想文を意識して書くようにしている。だけどそこに至るためにプライドとか、知ってしまった知識や技法があるから容易に書くことができない。
本当になろう作家さんは凄いと思う。これは皮肉でもなんでもなく、純粋な尊敬だ。
その根本にあるのはどこかこっぱずかしさだったり、ワナビのプライドだったりする。このプライド、なろうの台頭でより目立ってきている気がする。
多分、ここを見ているのはなろうで一度くらい書いたことのある人なんじゃないかなと思うんだけれど、なろうではテンプレート通りの展開をしないと人気が出ない。逆に言えば、テンプレート通りなぞればそこそこの人気が出る。
だけど、しない人はしない。そして人気が出ない。
テンプレートをなぞる作業は、オリジナルの作品じゃない、というプライドが邪魔をしているから。
僕もそうで、まさに異世界転生が台頭し始めた当時、あれは一つのジャンルとして確立されていなくて、二匹目のどじょうとして大勢のなろう作家たちが異世界転生に喰いつき、やがてジャンルとなった。
そして今、一代ムーブメントとなって、「いつか終わりを迎える」と思われていた異世界転生が「ラブコメ」のようにジャンルとして残ってしまうことが確定したわけだ。そして今では、異世界転生は僕らワナビでも躊躇なく書けるようになった。
だけど――今の流行り、「パーティ追放」「ざまぁ」に安易に手を出して人気を獲得することを憚っている。
なぜ?
それが作家性だから? オリジナル成分が足りないから?
そんな自問自答をする気は毛頭ない。最初から答えは出ている。
そして、それが冒頭で書いた、思うところ。
なろうによって浮き出てしまった、作者としてのプライドの答えだ。
簡潔に言うと、読者の求めているものと作者の書きたいものが異なっている。需要と供給の差、だ。
そして、概ねなろうで書いている人気の出ない人はそれが理解できていないんだと思う。自分もそう。
自分が書いたものは面白い。だから人気が出る――そう思って投稿して、結局誰にも読まれずに凹む。そういうことを繰り返して、それでも「見る目がない」と逃避したりしている。
だけど、それはちがって、端からそこに需要はない。
なろうは、本屋で売られているライトノベルよりも顕著に何を求めているのかが分かる。
そして、それは僕たちのような作者は本来歓迎すべきであって、読者あっての作者という考えを持つ僕なんかは、オリジナリティにこだわっている場合なんかじゃなくて、そこに読者がいるのなら何匹目のドジョウでもいいから捕まえなくちゃいけない。
当然、それは違う、読者あっての作者じゃないと思う人もいるだろう。
でもあのサイトは「小説家になろう」だ。小説家になりたい人たちが集っていると僕は思っている。趣味で書いている人は否定しないし、そのモチベーションを保てるのは本当にすごいと思う。
だけど、僕のように誰かに見てほしいという承認欲求の塊が集まったのが小説家になろうであり、偶然そこに需要があってやってきた読者がいるわけで、ならばそれに応えるのがクリエイターなのかな、と。
ゲームクリエイターは常に需要を見ているという。どうして作家だけが自分の思い通りに話を進められるのか。
いや別に進めていいんだけど。最初からそういう方向で突っ走ると誰も見てくれないよってだけでさ。
生まれた家は貴族で、婚約者がいて。あるいは勇者パーティで魔王を倒したはずが政治的理由で公表されず。相手の都合で主人公は虐げられ、そして婚約破棄、国家追放、転落人生、それからのチートスキルで見返す……カタルシスの煮凝りみたいな分かりやすいテンプレートがあって、それを書けるだけの腕があって。
それでも、それを書いたら自分じゃない・それは自分の作品じゃない・他人のふんどしで相撲を取るのは恥ずかしい・オリジナリティがない、などなど。そんな理由で忌避している人、絶対いっぱいいるはず。
例えば、僕。
なろうの功罪と言われれば、確かにそう。
なろう作家と言われれば、作者性の否定の代名詞でもあった。だけど彼らは、ただただ読者に阿るだけの傀儡なんかじゃなくて、需要と供給を理解したプロフェッショナルである――と考えを改められるように、頑張ります。