複雑な解釈のその先。

2013年7月23日の朝日新聞(13版)「2013参院選『複雑な解釈』」に内田樹(神戸女学院大学名誉教授=当時。現凱風館主宰)が寄稿している。 http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307220692.html

(筆者注・2021年現在リンク切れ)

(前略)では、なぜ日本人はそのような統一性の高い組織体に魅力を感じるようになったのか。それは人々が「スピード」と「効率」と「コストパフォーマンス」を政治に過剰に求めるようになったからだ、というのが私の仮説である。

さて、1年数ヶ月前まで舞台作りに関わって、それを審査されていた者として、何が堪えるかというと「様式美に則った既成舞台が、創作舞台よりも評価されること」であった。「そろそろ脚本書きなさいよ」と言われ続けていたのだが、書く人間(生徒)が部活動の中にいて、その伝統が続いているので「高校生が作る舞台は、高校生が書く脚本が一番理にかなっている」と言い訳をしているうちに、顧問でなくなってしまった。

ところで2011年の地区大会(や講評文)で、で杉内浩幸(宮城広瀬高等学校演劇部顧問=当時)から、自分のところもいろいろ言われるのだけれども--と前置きされた後「とにかくやり続けることです」と言われたことがずーっと引っかかっている。なぜ2年も引っかかっているかというと、先日(2013年)の地区大会で林成彦(青年団演出部)がかの学校を絶賛したことに、である。「大きな声を出していないのだけど聞こえる声である。舞台はシンプルでむだがない。音響に頼らず、物語を成立させている...」。これらのポイントは、3年生たちが覚えていてくれて、それをずっと継承したことを思うと、感慨に浸っていた。結果に結びつかなかったことが、引っかかっているのだけれども。

内田の文に戻る。

(中略)学術研究でも話は変わらない。「すぐには結果を出せないが、長期的には『大化け』する可能性があるプロジェクト」には今は科学研究費補助金もおりないし、外部資金も手当てがつかない。研究への投資を回収するまでのデッドラインが民間企業並みに短くなったのである。(後略)

はっとした。かの学校=紫波総合高校が生徒創作で大会に出て、まだ3年しか経っていない(注・2009年にも生徒創作で大会に出ているが、翌2010年は既成で地区大会を突破している)。寄稿で内田はこうも言っている。

「学術的なもので「すぐには結果を出」そうとすることは、『朝三暮四』そのものだ」

今回(2013年)の結果を受け、顧問の後藤加奈(当時)は「来年も生徒創作で」と翌日には言っている。すぐに結果を出そうとする時流に、現場を離れた自分が乗ってしまってどうするんだ。

恐らく、県大会は「演劇の作法」を身につけたあの学校の創作とその学校の創作による一騎討ちになるだろうと読んでいる。恐らく2校のどちらかに、ご褒美としての春季全国演劇発表大会(フェスティバル2014)地元上演(北上市さくらホール)が待っている。続けて花を開かせるとは、そういうことなんだろうと思う。

(2013年7月23日記す。文中敬称略)

追記)Facebook「ノート」欄に置いていたのですが、読めなくなったのでnoteに記しました。肩書き、西暦などを整理しました。

追記2)ちなみに、地元上演を担ったのは、盛岡市立高校の『ニッポンSFジェネレイション』松田隆志(既成)でした。


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