そして彼女らは次の一歩を踏み出した~いわき総合高校『CUQP』(2016年2月19日・いわきアリオス小劇場)
「『ちいさなセカイ』で何を訴えたかったんですか?」
「私たちが過ごしている学校や身の回りのできごとを、エチュードなどの方法を使って表現しました。たまたま私たちが遭遇した東日本大震災は、いろいろと聞かれるんですけど、震災のこととか原発事故のこととかそれだけを訴えたいわけじゃなくて、私たちの身の回りで起きたことの一部で、悩むことは他の地域に住む高校生と一緒なんです」。
2015年、滋賀県彦根市で行われた「びわこ総文演劇部門(第61回全国高等学校演劇大会・全国大会)」生徒講評委員会で、声にして伝えたことが、いわき総合高校演劇部の持つ世界観である。
4か月後の12月に顧問の齋藤夏菜子先生(当時・現ふたば未来高等学校教諭)がこう続けた。
「全国大会の『ちいさなセカイ』は2014年の3年生が中心になって考えたもので、(3月で卒業する)3年生にとっては『自分たちの芝居』ではないのです」。
八戸での「第48回東北地区高等学校演劇発表会(東北大会)」で上演された『CUQP』は、思いの外評価が低かった。大会直後
「2月にいわきで自主公演をする」。
と齋藤先生は3年生に伝えた。「自分たちの芝居」をできるところまで作り上げてほしい。
1997年に「はじめの一歩」をこの世に踏み出した彼女らが、舞台上のキューピー像と観客に見守られて、自分たちの生を語り出す。将来に向けての希望やうっすらとした不安が、ラジオ福島の音声によって示された2011年3月11日の(彼女たちは中1から中2になろうとしていた)場面から、話のトーンが一気に深くなる。
・それまでは富岡にいたのに、避難先で「福島」と口にしただけで、自分と相手との距離感・温度差を突きつけられたこと
・同じ中学にいたのに避難場所が別々で、いわき総合で再会できたのに、互いの環境が変化していて素直に喜べない
・「家建てたんだ。お金持ちだね」。お金持ちじゃないから
・小さいときに遊んでいた空き地に仮設住宅が建ち、海沿いでは防波堤の工事が進む。必要なのはわかっているんだけど、何か違う。「何か」を表現できないまま、気がつけば仮設住宅が増えている
・震災の時、高台から津波を目撃して、それ以来『地震』という言葉に神経質になった。友人たちが『地震ごっこ』をしているのが不謹慎で許せなかった
・離婚している父も母も両方好きなのに、遊びに行ったホテルでふと口にした「お父さんと一緒に来ればよかったね」という一言に過剰反応する母。どう向き合っていいのかわからない。同居する父や父方の祖母と、どう距離を取っていいのかわからない
・中学から高校に進むにつれ、ハリーポッターからダンスに興味が変わり、踊っている時が「解放された自分」になるのに、回りからは「空気読んでよ」と言われる
・仮設校舎で2年過ごし、最後の1年を(新しい)北校舎で過ごす。1,2年生は「新しい校舎になってよかったですね」と言うけど、何か違う……。
1人1人の思いが重なった時、話を聞いてくれないもどかしさ、かみ合わないもどかしさ、焦りからの衝突が繰り返される。だが高3となる2015、2016年を迎えるにつれ、やり取りのどこかに余裕が感じられるようになる。
「舞台の上で高校生を生きる」
と彼女たちを言い表したのは校長の吉田豊彦先生(当時)である。
彼女たちがいわき総合で過ごした3年は、自分を獲得するための3年であり、舞台を通していろいろなことを作り上げて行った3年だったのだと、彩乃や卓巳、五月たちをはじめとする3年生を見て感じた。
3年生14人たちは卒業と同時にいわきを離れる。けれども次の一歩を前向きに捉えている姿は、晴れやかでまぶしい。寂しさよりも安らかさが勝ったのは、いわきという土地柄と、「舞台の最後は自分たちで終わらせる」という彼女たちの強い意志があったからだ。最後の舞台は卒業生から託された『ちいさなセカイ』ではなく、自分たちが作りあげた『CUQP』(生まれたときからの18年を見て!!)で終わらせなければいけなかったのだ。
(2016年2月19日 いわき芸術文化交流館アリオス小劇場)
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▼ この記事は2022年2月22日、noteに公開しました。
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