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イグBFC4感想

イグBFC4というイベントに参加したので、参加作品の感想をここにまとめます。


感想の記載方針/イグとは何か

イグBFC4の募集要項ならびに参加作品リストはこちら。

イグBFC4は4回目となるイベントで、イグブンゲイのファイトクラブ。では「イグ」とは何かというと、今回の参加募集にあたっては「自分がアホであると思うもの」との定義づけがなされました。

ただ、何をもって「アホ」と思うか、何をもって「イグ」とするかは人それぞれだと思います。応募作を読むにあたっても、それが果たして「アホ」であるか否かを僕が判断することはしていません。本人がアホと思って書いたならそれは確かにアホなんでしょ、と、信頼する方針としました。

そのうえで、僕として純粋に楽しめたかどうかとか、一般の読書と同じ基準で感想を書きます。

とはいえアレですね、普通の読書と違って、相当の変化球であっても「とはいえまあこれイグだしな」って許せてしまう安心感というか、楽しむことへの良い意味でのハードルの低下があっていいですね。

自作を除く50の参加作全部に感想書くのは時間的に厳しく、特に気になった作品と、自作に言及いただいた作品とを優先的に取り上げます。番号は先に挙げた「イグBFC応募作リスト」に準じています。

感想は逐次追加予定です。


感想

8.『英雄』呉エイジ

モノづくり系というか、計画を立てて実行系のお話はイグ・非イグに限らずワクワクさせられる。3億円あったらどうしよう、でドローンを作り、水ではなくドライアイスという工夫をし、ハッシュタグで火事発見、というプロセスがまさに「やってみた」のノリで楽しめたのと、サクサク進むテンポの良さも六枚ならではでよかった。
で、オチの一気に駆け降りる感じもイグって感じでよかった。


9.『秋ヶ瀬橋』ユイニコール七里

妖怪好きだし『ぬ~べ~』も読んでいたけど、僕にとっての「しょうけら」は鬼太郎第五期のそれだったことが悔やまれる作品。

「死」を入り口としつつ、共通の話題で盛り上がる感じは傍目に見てもほっこりできて、また、その超展開ぶりもイグらしくてよかった。


21.『犬』エンプティ・オーブン

予選投票した作品その1。
イグなのに名作出すのは反則なのでよほど投票すべきか悩んだけれど、冒頭の「感想の方針」で書いた通り、何をもってアホとするかは作者に委ねることにしたので、これもイグであることとした。

とはいえ困るんだよねー、こういう名作書かれちゃうとさ。

本作の白眉は何といっても「犬はさんぽとおもってよろこんでついてきた」の一節。「なにもかもいやになった」主人公の、ゆえに危さを深める世界が、無垢なままの犬と対比されることで、一気に一歩踏み込まれる。

構成としても、
 1.なにもかもいやになった主人公(主人公の紹介)
 2.犬の描写(読者が期待するおもしろさ,物語世界)
 3.犬の描写(2を踏襲しつつ変調して描かれる異世界)
 4.犬となった世界の描写(再生された世界)
と、三幕構成ないし英雄論・神話論をきれいに踏襲しており、ここで上述の白眉の一文は2と3のあいだ、いわゆるミッドポイントに差し込まれている。そしてオチの文章「俺は四つ脚でかけ出した。」が、件の一文と対になるものとして、かつ最後に描かれることで、その後の世界の広がりをも示唆する。

これがなんと500字に満たない。怖い子……!


33.『盆の蛆』田中目八

予選投票した作品その2。イグなのに名作出すのは(以下略)
僕は俳句には疎いものの、疎いなりに感じるものがあった。戦国武将というテーマの馴染みやすさのおかげで入れた。ということもあるかも。

ホトトギスの句で対比される信長・秀吉・家康の三武将が、それぞれにゆかりのある家臣と共に描かれる。この蘭丸・利休・半蔵、という人選も、三武将の人となりを描写し、あるいはその事績を象徴するかのようでおもしろい。

句の内容も、炎と共に舞う信長・蘭丸の最期は荘厳だし(そこで餅が持ち出されるのが小憎いし(餅だけに)、鶯の字が入ることで三武将の登場を示唆するのもすごい)、血の茶とは利休の壮絶さを想起させ、片膝を立てる半蔵は家康との関係性も含めて目に浮かぶよう。

「メッキの月に出兵」はもうこれ、形容する言葉がない。かぐや姫的なおとぎ話なSFみもありつつ、秀吉の事績と合わせるならば、彼の怨念のような、それでいて絢爛な織豊時代の残滓の美しさを感じずにはいられない。(あっ形容しちゃった)

で、トリックスターの七人目として、三日天下の明智が登場。史実に沿って下の句を廃した句で〆られて、その潔さに急速に諸行無常が立ち現れる。

すき。


36.『アイの試練』はんぺんた

とても安心して読めた作品。恋愛ゲームやギャルゲーをモチーフにした作品は大好きで、挙げると失礼になるかもだけど花沢健吾『ルサンチマン』なんかも想起した。

できれば正当な続き(トゥルーエンド?)も読みたかったけど、これはイグなのでしっかり転調。ノスタルジーも感じさせるオープンワールド展開にとてもほっこりできました。


41.『棒立ち』蕪木Q平

なんだかわからないけど引き込まれ、一気に読まされてしまった作品。けっこう心無いセリフもあるんだけど、でも小学生のそういう他愛なさというか、パーソナルスペースの不確かさというか、関係性の続く感じがとても良かった。

とはいえ、実際には存在する彼らの中の不均衡さがいつか決定的な出来事のきかっけになってはしまわないか、という危うさにもハラハラさせられて、そのアンバランスさもこの作品の、そして少年時代の魅力なんだと、今感想を書いて気付かされた。


42.『セカンドチャンス』十佐間つくお

予選投票した作品その3。
『ミザリー』っぽい作品だが、Tと女のキャラ造形とか、夢(あるいは悪夢)のような不条理な、しかしちょっと可笑しさのある物語の進行に、つい引き込まれてしまった。なぜだろう。お話の運びもだけど、描写の軽快さもよかったのかも。イグみも僕にはほどよさがあり、良かった。


43.『夢-Converter's Folk Tale』サクラクロニクル

瑞々しくもちょっと濁りというか背徳感のある空気、閉鎖的青春とでもいうか、共感性羞恥二歩手前の感じがたまらなく好き。ついこの著者の素顔が気になってしまう。

機械破壊体質とか、しかもそれが死因になりつつ、とはいえこの設定をそこまで踏み込むわけでもなくマクガフィンにしてるあたりにイグみを感じた。
あと秒速18キーが平均値とすればトップスピードはこれを超えるはずで、そうするとマッハ超えそうだけど衝撃波どうするんだろうとか、このあたりのフカシた設定もニヤリとできて楽しめました。

なんか意味ありげな導入とラストは、実際に著者が何らかの意図を込めているのか(例えば自分に対して、あるいはイグ参加者に対して)、それとも中国語の部屋的アレなのかは不明。


Ex.『山本は死んだ』海野是空

こちらは別イベントに誤投稿されたと思われる作品。イベント名が、似ていたからね。でもミスは誰にでもあるから仕方ない。読んで思わされるところがあったので、ここに感想を残させていただく。

本作は「死に纏わりつかれているような男」山本と、彼の友人たちの物語。友人の一人を語り手として、小学校・中学校時代、そして成人後も盆暮れに集まるような彼ら四人の軌跡が紹介される。けれどもお話の中盤以降、山本が離婚をきっかけとして7年ほど顔を出さないため、友人たちが山本の家に押しかけることで、死臭が一気に深まってゆく。

まず特筆すべきはリーダビリティの高さ。キャッチーな導入から小学校、中学校と、そのエピソードがスルスル目に入ってきて、優れたアトラクションみたいに一気に最後まで読まされてしまう。確かに「死」というテーマはセンセーショナルではあるけれど、このお話の読みやすさはそれに拠るものでもなく、語りの安定した上手さにあると思う。ずるい。

とまあ、話としておもしろいのは間違いないのでいいとして、感想として挙げたいのは語り手(たち)と山本との関係だ。彼らは本当に友だちだったのだろうか?

というのも、終盤の次の文章が僕には引っ掛かってしまった。

山本がどうなったのかは誰も知らない。知りたいと思わない訳ではないが、約束された後悔と向き合う気にはなれない。

海野是空『山本は死んだ』

これって、そうなのかな。小学校以来の友達が亡くなって、確かにその最期は怪異的ではあったけど、でもだからこそ、真相を確かめたくなるのが友達というものではないか。山本の人生に蓋をするような態度は、友達がすることなのか。

これについて次の3つの仮説を立てた。

1)実は友達ではなかった
ひとつめは、山本と3人の仲間たちが実は友だちではなかった、という仮説。山本はいじられる対象であり、心を通わせる仲ではなかった。小学校、中学校、そして成人してからも何度も会ってはいるものの、それは地元繋がりの腐れ縁で、単に世界が狭くて他に友だちがいないだけ。「一見仲良さそうに描写されるがよく文章を読み込むと隠れた関係性が浮かび上がる」というのはブンゲイにありがちな仕掛けでもある。

が、僕はこの説は取りたくない。それぞれは社会に他の関係も結んでいるし、山本は確かに「話を振られれば何か言うという程度」ではあれど、そういう居心地のよさだってあっていい。と、信じたい。

2)著者の作劇上の都合
ふたつめは、こうした描写が作者による作為であるという仮説。なんかこう、心理的展開に飛躍を持たせたり、登場人物にエモめの逡巡をさせたり、結末真相を放棄するような行動をとらせることで、掌編の終わりに余韻を持たせるというか、そういう効果、あるじゃないですか。僕はそれは単なる手抜きだと思ってるけど、なんとなくこう、話を話としてうまくまとめようみたいな作為が、感じられた。

ただ、この仮説はもし外れたならば著者に対する侮辱以外のなんでもないし、そんなはずもないとやはり信じたいので、落としたい。あくまで可能性として浮かんだに留める。

3)僕の価値観の違い
結局のところ、先に述べた僕の感想(友だちなら違う行動をとるはず)というのは、あくまで僕の価値観であって、そうではない行動をとる人たちもいるのだ、ということをこのお話は教えてくれた。というのが穏当な落としどころだろう。
なんどか読み返してみると、仮説1のような、山本と彼らとの間の関係性の微妙さは要素としてはあるかもしれない。が、それは決定的なものでもなくて、色んな友だちの在り方の一つで合って、あくまでも「友だち」であることにはきっと疑いはない。

そのうえで、主人公たちは最後の行動をとったのだろう。

だけど人生は長いから、残された仲間たちの心情も遷ろい、老いてはこの日を思い出し、いつか、山本の死に再び相対することもあるものと想像したい。


イグBFC4幻の決勝参加作感想

えっ、幻決勝??

イグBFC4は大団円のもとに幕を閉じたはずだった……のだけど、幻の負け犬を決めるための戦い「幻の決勝」が開催されました。すごく、すごく二次会的なノリで。

テーマはこちらも本家イグBFC4と変わらず「自分がアホであると思うもの」。ということでこちらの参加作についてもいくつか取り上げて感想を書いておきます。

なお蛇足ながら、こうした二次会ノリが楽しめたのは二次会幹事のおかげであるし、また一次会の大団円もあってこそなので、改めてイベント運営に大感謝です。


幻6.『現-Generater's Folk Tale』サクラクロニクル

本作は本家投稿作『夢-Converter's Folk Tale』と対になると思われる作品。ということで改めて『夢~』を先に読み返したけど、当初読んだときには気付かなかった点もいくつか。

小学生の作文に「まるでだめで賞」を与える学校 is 何?

あとはラスト、墓石のそばでスマホが動作不良気味になる描写がやはりエモい。ノイズ感がラストを引き立てていた。

という余韻に浸りながら『現~』を読む。(あ、この感想書くために読み返してるので初読感想じゃなくなってるけど、本来は『夢~』をいったん頭から消して、『現~』単独で読んで評価するべきだよね。ごめん。でもまあ、イグだから)

『現~』でまず衝撃なのがレインの正体。『夢~』では一人称ボクだったので最後まで男女の話と思ってたけど(もしかしたら『夢~』でも視点人物が女性である示唆はあったかもだけど僕は細かいのは頭に入らない)、『現~』で黒髪三つ編みボクッ娘メガネだったと明らかになる。このベタベタの属性感は、しかし共同創作を行う2人の雰囲気や関係性をいち早く伝える「記号」としてはうまく機能する設定なのだと捉えた。たぶん単に著者の好みだけど。

それから気付かされるのは、「まるでだめで賞」をもらったはずのレインはしかし、その超絶打鍵をある程度の努力の末に手に入れたらしいこと。『夢~』ではオモシロ設定的に受け入れたが、普通に考えれば突如そんな能力が発言するはずもない。

「小説が書けない」と自認するレインはしかしその努力を重ねていた。また、才能に恵まれると『夢~』で描写されていた原作者あまねは、『現~』では彼女なりの苦しみを抱えていたことが明らかになる。(このあたりは世界に対する苦しみの理由はもう少し知りたかったけど、字数制限があるので仕方ないだろう)。

その後、あまねの「選択」を経て、機械を破壊する能力を手に入れる。このあたりはの「何が機械で何が機械ではないか」問題はそれはそれでSF脳的に色々妄想してしまったが、それは僕の個人的な問題。

で、そのままあまね視点での物語、レインへの想いが最後まで語られるわけだけど、ここで『現~』が単独で成立するかというと、残念ながら違うと思う。僕は『夢~』を読んだから諸設定を汲めたけど、『現~』だけ読んだら説明が足りない設定がいくつもあったように感じた。

ただまあ、このあたりは著者もどう考えても織り込み済みで、イグBFC4幻決勝というイベントに合わせて裏話を書いたというか、これは両面合わせての作品ではなく、ボーナスステージ的な物なのだろう。『夢~』をみたひとに、さらに『現~』もみせてあげますよ、という。

けれどもよくできているので、『夢~』『現~』を対照作品としてさらに構成しなおしたらきっとさらにおもしろくなるのに、という気持ちはぬぐえない。二人の視線や対比が、完全には交錯しきっていないように思えるからだ。

『夢~』もだけれど、『現~』の醍醐味はやはりあまねのレインに対する想い、その独白のエモさにあると感じた。この切ない感じ、二人だけの世界に閉じた背徳感、それさえも失われたことの喪失感。『夢~』感想でも書いた通り、このあたりはこの著者の醍醐味だと思う。のだけどその一方で、キャラクターのダイナミズムは人物や心理の直接描写(つまり筆力の巧みさ)のみによらず、人物を取り巻く環境や状況にもあるはず。そうすると、本作のような構成をとるならば、二人の視点や状況を両面から追い込むことで、さらに二人の視点の焦点が先鋭に結ばれたように思う。

まあボーナスステージなんで、後出しでそんなこと言われても著者的には不本意と思うが。

あっ、というかそういえばこれイグの話だったな。実はこの著者はイグBFC4幻決勝運営の中の人に他ならないが、中の人にもかかわらずいつものエモめの百合をしかも既出作の反転構成で出してアホだった「ことにしておく」ことにした姿勢を、ぎりぎりアホだと評価することにする。


幻12.『あいうえお』夏川大空

原稿用紙に綴られたあいうえお作文(まさに作文)形式のお話。原稿用紙というフォーマットに懐かしさがありつつ、各段落の文章の見た目も統一されるなど工夫があって、読むのが楽しくなった作品。

内容はきちんとお話になってる風なのがさすがだが、「風」と書いた通り、どこかちぐはぐというか、無理やり感が残っている。この無理やり感は「あいうえお作文」の形式に合わせるため、つまり辻褄合わせのために生じた無理なのだけど、一方で、それゆえに文と文との思わぬ組み合わせが物語を意外な方向にも転がしており、まるで夢の中をあるくような、そういうおもしろさがあった。

内容的にも形式的にも僕は好きな作品で、ゆえに、これはアホでもイグでもないとは思った。


自作紹介

13.『或る干渉』久乙矢

僕はこちらの作品で参加しました。
コミュニティの閉鎖性を「アホ」なものとして描きたかったですが、この作品そのものが極めて醜悪なものになってしまった点は反省してます。

というか、本来僕が描きたかったのは「看板見てがんばってノろうとして排除されることの寒さ」だったんだなあと、本作を書いて、それに対するフィードバック的なものをみてようやく気付けたり。そういう気づきが得られただけでも、書いた甲斐はあったということにしておく。


幻5.『昇天祭』久乙矢

幻決勝への参加はこちら。過去作を改稿して出しました。
応募ポストの紹介の通り、「〇AX〇のH〇ってどうみてもチ〇コ」が描きたかっただけのお話です。「とりあえずなんか下ネタ方向に振っとけ」的なイグの風潮に対するアンチテーゼのつもりで出しました。


おわり。

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