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FUNLETTERS『8月15日』のタイトル考察

僕の大好きなバンドFUNLETTERSが1年8ヶ月ぶりに曲をリリースした。FUNLETTERSは、トラックメイカー&コンポーザーのNew Kと、ボーカルのChami.によるエレクトロポップユニットで、《あらゆる物事と人間性の肯定》を掲げる。

僕は透明に響くパーカッションのリズムと、そしてなにより詞が好きだ。『有名な曲かけてよ』の「鍵を掛けずに出かけよう」とか、『そこに愛があるなら』の「灯りを持たず谷へと降りていく」とか、これらフレーズはもちろん曲全体の文脈もあってさらに輝くのだけど、FUNLETTERSは人間を全面的に信じようとする姿勢が一貫していて、聴くと正直な気持ちになれる。

あと、いつもPVがすごくいいよね。

そんなFUNLETTERSであるけど、昨年活動を休止し、ボーカルのChami.さんが脱退しており、もう聴けないのかなと残念に思っていた。そんななかでの新曲リリースは嬉しいニュースだ。

新曲『8月15日』を聴いてみて

ということで『8月15日』。
全体に優しいリズムと音楽が続くなか、夏の夜の逡巡が極めてリアルに描写される。あーこういうの、あるよねーと強く共感させつつ、その眠れない感情の昂りを音楽がしっかり表現というか演出していて、なんというか、掻き立てさせられる。やりきれないあの気持ちを再現させられる。ぐぅたまらん……。

だけどそれは聴くにあたっては決してトラウマを掘られるとかではなく、そういう夜もまたドラマチックな時間だよね、みたいな、肯定される感じがある。

音楽としては、FUNLETTERSならではの世界観は変わらずで安心できて、僕は特に弦楽器の音の響きが好きだった。

一方、僕はFUNLETTERSのパーカッションの音が好きなので、その辺のもの足りなさはあった。でも、あっても今回の曲には合わなかっただろうとも思い、不満はない。

次のような制作事情もあったらしい。環境が変わって新しい実験がなされるというのはすごくいいよね。

で、なんで『8月15日』?

さてこの記事の主題に入る。この曲のタイトルは『8月15日』なんだけど、なんで『8月15日』なんだろう。リリースされたのは2021年8月13日なので15日ではない。歌詞の中にもそれらしき示唆はない。

いくつか仮説を立ててみよう。

・ 作曲者にとって一番暑いと思う日である
・ 夏といえば8月、その真ん中をとって15日にした
・ 夏祭りとかこういう気持ちになるやつ多いだろうところ、作曲者の出身地の夏祭りがだいたい15日開催である
・ 5の倍数でなんかキリがいい

うーん、ぶっちゃけこれであってる気がしてきた。けどほかにもいくつか仮説を考えてたので、以下に挙げていく。

仮説1:実はダブルミーニング

「8月15日」という日付から、日本人として想起を免れ難いのが終戦記念日だ。この曲は一個人の感情を主軸に置きつつ、サブコンテクストとして歴史的視点をも持っている、というのがひとつ目の仮説である。

個人の物語とマクロな大局構造とを併置する、というのは、小説や映画ではしばしば取られる手法だ。

一部歌詞を抜粋してみる。

暑い夜が嫌いだね あれこれ思い出すから
常夜灯に浮かんでは去る後悔
寝たふりしていれば やり過ごせると思うのに
諦めのつかない感情は渦巻いて 額に汗が滲む
今夜はずっと暑いから 求めてた答えは出ないまま

FUNLETTERS『8月15日』

いくつかのフレーズをみると、歴史を顧みるうえで生じうる感情がいくつか散りばめられているように見えなくもない。歴史とは過ぎた結果であり、ゆえにそれがどのようなものであれ、どのような立場にとってであれ、ふと「あれこれ思い出す」「後悔」「やり過ごす」「諦める」「答えを求める」といったことは起きてしまう。

なお、僕は作曲者がこの曲を通して何らかの政治的立場を表明しているとは考えない。以上の通り、この歌詞においてはどのような立場にも通じる普遍性があるし、なんなら「8月15日」に象徴される終戦という事象もまたひとつの象徴に過ぎなくて、あらゆる歴史的事象をうたっているのかもしれない。

8月15日を調べると、この日には薩英戦争の開戦や、ニクソンショックがあり、あるいは作曲者の出身地である山梨県で誘拐殺人事件も起きていた。

この曲がこれらを「やり過ごすべき後悔」として意識した可能性も無いこともないかもしれないと言ってみるだけのことは一応まあ許されるだけは許されるかもしれなくもない。

いやまてよ。

よもや真犯人、なのか……?

仮説2:作曲者の個人的体験

でもまあ、FUNLETTERSが歴史とか政治とかを題材にするというのは、僕の感覚ではちょっと考えにくい。《あらゆる物事と人間性の肯定》という、温かくも普遍的なテーマを持つFUNLETTERSだからこそ、仮説1のような邪推もロジックとしては成り立ちうるけど、それは単にFUNLETTERSの懐が広いという話に過ぎない。

本命としてはやっぱり、作曲者の個人的な体験とか、そんなところじゃないかと思う。後悔と眠れない夜。そんな誰もが体験する普遍的な感情を、情緒的で視覚的な詞と、刺激的かつ穏やかな音楽で搔き立てる。それこそがFUNLETTERSの魅力であり、それはこの曲でも変わらないのだ。

これは完全に妄想だけど、そうね、2013年とかにしよう。2013年の8月15日に、例えばNewKが当時の彼女にフラれてさ、あるいはフラれたのはそれより前の日でもいいんだけど、とにかくそれで眠れない夜を過ごしたのが8月15日でさ、NewKはその時の気持ちを日記にでも書き残したのかもしれない。

それが最近発掘されて、あの日の気持ちを再現したのがこの曲。きっとそんなところが真相だろう。

ああ変に思うよね まともじゃないから
ああ気にしないでね 全ては夏のせい
唐突に自分が嫌になるのは全部 
寝たふりしていれば やり過ごせると思うのに
諦めのつかない感情は渦巻いて 額に汗が滲む
今夜はずっと暑いから 求めてた答えは出ないまま

岐れ道の先 搔き分ける草木
そこにあなたがいなくても いなくても

FUNLETTERS『8月15日』

次の曲も楽しみにしてます

ということで、主題が尽きたのでこの記事は終わるけど、FUNLETTERSの復活はとにかく嬉しいニュースだった。ボーカルがいなくなったらさすがに継続は厳しいと思ってたけど、ゲストボーカルという方法があったのか。

そういう意味では、あくまでゲストとしてかもだけど、Chami.さんの声を聴けることもあるのかな。

作曲者のNewK氏はCM音楽も制作したりと、FUNLETTERS以外でも活躍の様子で、これもすごく嬉しい話だ。

いずれにせよ、次にはどんな曲が出てくるのか楽しみにしたい。

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