天職を手放してまで実現したかった理想の子育てとは?職業”母”1ー土地
理想の子育てこだわり その1『 土地 』
私は東京生まれ東京育ち祖母は麻布の生まれ銀座育ち
祖母は神田明神のおひざ元でお店を営む家で育った一人娘だった
と聞きました。その看板娘だったことが自慢の江戸弁を話す人だった。
私も江戸っ子である事は私の中の大事な要素の一つです
夫も何世代にも渡り彼の両親共に東京の生まれ
我が娘は新宿生まれなので、彼女も立派な江戸っ子と言えるでしょう。
しかし、理想の子育ての為に東京を離れる事に対して
お店を手放す事に対して何のためらいもありませんでした。
結果としてキャリアを手放す事も。
他の記事でも話している通り移住の最初のきっかけは
”安心して子供を育てられる土地”に拘った事です
日本には巨大地震と原子力発電所がある
これは言うなれば時限爆弾に相違ないと考えたからです。
子供は常に親元に居て守ってあげられるものではありません
幼稚園にもいけば、小学校にもいくし
遠足にも、林間学校にも行く。
その時に大地震が発生したとして、避難の判断は
その時に周りにいる大人にゆだねられる
自分自身が生死の瀬戸際にいる時に何十人もの命の責任を
数人の大人に任せるというのはあまりにも無理があり
不幸な結果になった時にその責めを負わせると言う事は
あまりにも酷というもの。
子供がたまたま一人家にいて家具の下敷きになる事も
考えられる。
親と一緒に居たからと言って守れるとも限りませんが
子供自身が自分で判断して避難できる年齢になるまで
まずは安心して生活できる”土地”そのものに拘りました。
もちろん完璧はありません。けれど最善の土地。
それをオーストラリアに求めました。
オーストラリアに決めたのは消去法です。
特別な思い入れはなどは何もありません、
子育てと永住権取得の条件の両面から私の独断で決めました。
放射能に色が付いていたら良かったのに、、、
大地震が発生した時に原子力発電所が無傷である保証はありません。
そして必ずと言っていいほど発生する大火災。
自然の驚異は人知を大いに上回ります。
大地震から奇跡的に生き残ったとしても
放射能という見えない脅威に怯えて生きなければならない可能性も。
それが世代を超えて影響力を持つとしたら?
そして一命を取り留めたとしても
待っているのは過酷な避難所生活。
数千年にわたり自然災害大国日本という歴史的教訓を持ち
先進国としてその名を知られるようになった日本
それにも関わらず
昨年の能登半島地震においてもまだ避難所は劣悪な環境にありました
画面越しに目に入ってくるその避難所生活は
「これが日本なのか?」と目を疑いたくなるものばかりでした。
被害にあった街の復興には10年もかかるという話も
この点に関しては先進国日本の名に恥じない対応が出来るよう
是非日本政府にお願いしたい。
オーストラリアは東京とは比べ物にならないくらいの田舎で
本当に退屈です。
交通の便も悪く平日の通勤ラッシュ時、
駅に着いたとたんに、駅周辺に人が溢れている光景を見て
「あーまたか」と。何の説明もなく電車が来ない事も日常です。
天然資源と中国頼りでもの作りが出来ない国ゆえに
東京では簡単に手に入った欲しい物が手に入りません。
乏しい品ぞろえに質の悪いサービス。
でも不便は慣れますし、楽しむこともできるので諦めもつきます。
それと引き換えに手に入れる事ができたもの。
地震によって突然大事な家族が奪われてしまうかもしれないという
恐怖からの解放です。
そしていつか家族を持ち生きていくだろう娘の将来への選択肢。
東京へ帰るもよし、ここで生きるもよし
その選択肢を与える事が私の母としての第一の仕事でした。
今ではこの土地を自身の”勘”のみで決めたにも拘らず
全てが最善であった現状に本当にありがたいと思っています。
土地。太古の昔から途絶えることの無かった戦争の原因の
殆どが、『土地取り合戦』土地とは人間が生きていく中で
最も大きな役割を果たしているのだと私は考えています。
そういった意味においては天然資源に乏しく厳しい天候と
大地震がある土地で世界有数の先進国とした日本人は
本当に素晴らしい民族だと心より尊敬し、誇りに思います。
次回:理想の子育てこだわり その2『 戦争のない環境 』