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塩分過多
大阪に来て一年以上が経った。一人暮らし2年目、本当に誰も頼れない暮らしが始まって、不安と、知らない街へのワクワクと。そんな気持ちできたこの街ももう見飽きてしまった。いつか東京に戻ったときにはこの街を懐かしむのだろうか。
いまだに東京に帰りたいという気持ちは拭えない。常にその気持ちを押し殺して生活している。そんなうちに色々な思いまでも潰してきたのか今では生活の全てがモノクロに見える。あの頃のカラフルな世界はもう遠い昔のようだ。長期休みではもちろん全力で帰っている。会社都合で帰れる用事はあったがそのどれもが潰れてしまい、餌を目の前に取り上げられたような気持ちになって辛くて仕方ない。
今年の正月、帰省が終わって新大阪に着いた時にふとついさっきまで遊んでいた会話や帰省中のことを思い出すことのできない自分がいた。もちろん記憶喪失になったわけではない。楽しい記憶を取り出すと、ひとり寂しい生活に戻れなくなると心の奥でわかっているからなのだろうか。普段も友人の顔や家族の顔を思い出すことは滅多にない。SNSにて更新されていく楽しそうな写真を見ても心がゆらぐことはめっきりなくなってしまった。少しづつ自分が死んでいるような気がしてたまらない気持ちになる。
ここに来た初めの頃自分は強いのかも知れないと思っていた。移り住んで3ヶ月経っても、寂しい時はあるけどそこまででもないとそう思っていた。思えばあの時から既にこれまで通りの生活ができないことを悟って自分の心に蓋をしていたのかも知れない。今まで気づかなかったこの感情をわかってしまってからというものの、寂しさややりきれない気持ちが大きくなっていくのを感じる。別に自分がいなくたって世界は回る。家族も友達も、普段通り過ごしている。ただ、そこにいるはずの自分がいなくても成り立っている状況は心を全体的に押しつぶす。
最近は映画も漫画もゲームも前ほど身が入らない。観たところで、読んだところで、やったところで感想を語り合う時間がないからだ。前までは話のネタになると思って見ていた節もあったが今ではいたずらに時間を潰すための、道具でしかないような気がして気が進まない。他人を喜ばせるという作業を介さず自分自身を楽しませることに興味がないのか、美味しい食べ物を食べにいくでもなく、綺麗な景色を見にいくでもなく家でじっとしていることが多くなった。せっかく買ったカメラもうっすら埃をかぶっている。
写真を撮る楽しみを知った上半期だった。ただ、結果として自分の撮りたい写真は誰かと行ったという思い出や誰かそのものを記録したいというだけで”ただの”綺麗な景色には興味がないことがわかってしまった。つくづく自分は1人では生きられない生物なんだなと思い知らされる。依存っぽい体質なんだろう。なんとも厄介な生き物だ。
昔から、人に笑われていた。それがいつしか笑わせることが楽しくなっていて、生きがいになっていた。自分の幸せは誰かが笑っていること。美談のように聞こえるかも知れない。ただ少し深掘りすれば、誰かに笑っていてもらうことでしか自分の存在価値を認めることができない哀れなピエロだということだ。不遜な態度かも知れないが、人に楽しんでもらう、笑ってもらうことでしか、与えることでしか自分の器は満たされないのだ。だから、その相手がいない今自分の幸せのための活動は行っていない。否、行えないということになる。
仕事もある程度理解してきて習慣化された部分もある。その余裕によって自分のあり方を考える時間ができた。…できてしまった。自分の本質を理解すればするほど今の自分の環境がどれほど辛いものかを思い知る。考えたくても考えてしまってより鬱々とした気分になる。大好きな青空も自分の空っぽな心が透けてしまうような気がして上を向いて歩けなくなってしまった。何も考えたくないと思って何度も見た動画やアニメで頭を満たしている。自分で自分を絞め殺していることくらいわかっている。しかし、今の自分にはそれしかできない。
そんな気持ちを紛らわすために最近は料理を始めた。とはいえ凝ったものではなく炒め物やパスタとかそんなくらいだ。レシピを見ながら作っても薄味すぎるのではないかと思って調味料を入れすぎてしまい、いつも味の濃いものばかり。もしかしたら、寿命を縮めたいと思って塩分多めにしているのかも知れない。ふと、塩を振る手を止めた。出来上がった料理は彩りがあるとは決していえない質素なものだった。口にしてみる。ちょうどいいくらいの味付けになっていた。なんとなく面白くないなと思った。さっき振らなかった塩と近くにあった唐辛子と胡椒をありったけかけてみる。それはそれは台無しな味になってしまった。ただ、そんな滅茶苦茶な味付けが私らしさのような気もして。今日は久しぶりに悪くない日だったかも知れないと、お世辞にも綺麗とはいえない換気扇に吸い込まれていく、温かい料理から立ち上る湯気を見て思った。