新加入選手紹介:奈良竜樹 度重なる怪我の先に
怪我さえなければ…。
サッカー選手に対してよく言われる言葉だが、おそらく奈良竜樹に対しては特にそう思う方が多いだろう。
逆に言えば、奈良への期待が大きいことの表れでもある。
それもそのはず、リオ五輪も川崎フロンターレでもポジションも、怪我がなければ逃すことのないはずのものだったのだから。
けれども今季プレーすることになったアビスパ福岡でも、彼はリスクを承知で全力で身体を張るだろう。それが、自らプレースタイルだから。
今回はアビスパにやってきた、空中戦と対人に強く縦パスも入れられる強力なCB、奈良竜樹についてまとめる。
奈良竜樹とコンサドーレ札幌
1993年9月19日に北海道の北見市で生まれた奈良は、7歳の時にサッカーを始めた。
近所に住む1歳年上の友達からの誘われたことがきっかけで、地元の北見ブルーサンダースというチームに入団している。
この頃は攻撃的なポジションでプレーしており、子供の多くがそうであるようにゴールを決めることが好きな少年だった。
積雪量の多い地域のため、冬には体育館でフットサルをすることで練習を積んでいる。
北見市立小泉中学校へと進学しサッカー部に所属。中学2年生の時に「DFが足りない」という単純な理由で、空中戦に強かった奈良がCBへコンバートされる。
元々ヘディングが好きだったため反発することもなく、CBとしてサッカーを続けた。
中学校卒業後はコンサドーレ札幌U-18の一員に。プロになる自信があったわけではないが、高3時にはU-18プレミアEASTで初優勝に大きく貢献してみせた。
この活躍が認められ、同時期に2種登録選手としてトップチームへと帯同している。10月8日の天皇杯・水戸ホーリーホック戦で公式戦初出場。
さらに10月26日、J2の徳島戦でスタメンに入ってJリーグ初出場を達成し、ここから最終節まで全試合に出場するのだから凄まじい。まだプロの選手でもないのに、札幌のJ1昇格に貢献してみせたのである。
2012年、U-18の同期だった荒野、小山内、榊、前貴之と共にトップチームへ昇格。そのまま開幕戦のジュビロ磐田戦でJ1初スタメンを飾った。
実は奈良は、今後も絶対に抜かれない記録を持っている。
この磐田戦の出場で、Jリーグが1993年5月15日に開幕して以降に生まれた選手で最も早くJ1に出場した選手となったのだ。
1年目のこの年からレギュラーとなり、4月には飛び級でロンドン五輪に挑むU-23日本代表候補合宿に参加。
ロンドン五輪のメンバー入りは逃すものの、11月にはU-19日本代表に招集されAFC U-19選手権に出場した。
しかし、チームはJ1で苦戦を強いられ降格となってしまう。
翌年にはJ2の舞台で完全にポジションを掴み取り、主力として35試合に出場。
2014年も1月からU-21日本代表としてAFC-22 アジアカップに出場するというタフな日程ながら、リーグ戦でも39試合に出場した。
FC東京、川崎フロンターレ、鹿島アントラーズでの経験、そして福岡へ
ただ、2012シーズンに降格して以降チームは昇格を逃しており、奈良は五輪代表に残るためにこのシーズン終了後J1のクラブへの移籍を模索する。
とはいえ札幌も主力の、それも生え抜きの完全な流出は避けたい。お互いの妥協点だったのだろう、奈良は2015年、期限付きという形でFC東京へ移籍する。
だが、森重真人や丸山祐市らとの厳しい競争に勝てないまま、リーグ戦での出場機会は全く訪れず。カップ戦と、この時期J3に参戦していたJ-22チームで7試合に出場しただけだった。
意外にも奈良は落ち込んではいなかったようだが、五輪への出場のため出場機会を求めて2016年には川崎フロンターレへと完全移籍。代表チームでは1月のAFC U-23選手権ではリオ五輪の出場権獲得に貢献した。
望み通りチームでもレギュラーに定着し、7月26日に初戦を迎える五輪へまっしぐらという状況。が、悲劇が立て続けに襲う。
5月14日のJ1 1st 第12節神戸戦にて左脛骨を骨折してしまい、必死のリハビリを行うも五輪本大会に間に合わなかったのだ。
さらに、9月にチームへ復帰するも、練習中にまさかの同じ箇所を再骨折し再び離脱。
それでも奈良は復活を遂げる。
しっかり怪我を治して挑んだ翌年、エドゥアルドからポジションを奪い27試合に出場。そして何より、川崎にとって初のJ1制覇に大きく貢献した。
2018年5月2日には、アビスパ福岡のバンディエラ・城後も過去に経験したことを奈良もしている。
J1の浦和戦で、交代枠を使い切ったあとの後半25分にGKチョン・ソンリョンが退場。
ベンチにいたGK安藤のシャツを借り、奈良がGKとしてプレーすることになったのだ。それも、思い切った動きで失点を許さなかった。
この年は23試合に出場し、ついにJリーグ優秀選手賞の1人にも選ばれた。
翌、2019年も開幕直後はほぼ出場していたが、4月26日に左膝内側側副靭帯損傷、内側半月板損傷という大きな怪我を負ってしまい、全治4ヶ月という診断。結果的にそのままシーズン終了となってしまった。
2020年、再起を期して、鹿島アントラーズへ完全移籍。しかも秋田豊氏や岩政大樹氏らが背負った、鹿島伝統の背番号3を付けることに。
しかし、めまいや腰の痛みなど、やはり怪我に悩まされリーグ戦の出場は6試合。苦しいシーズンを送っていた。
そんななか2021年1月18日、アビスパ福岡への期限付き移籍が発表された。
2018シーズン以降の2シーズンは怪我の影響もあり出場機会が大きく減っている、というのが現状ではある。
それでも、出場した際に見せる実力はさすがと思わせるもの。
コンディションさえ整えば、10位以上という目標・J1残留というノルマに大きく貢献してくれるのは間違いない。
意外な強みと、期待
ピッチでは闘争心溢れるタイプだが、ピッチ外では意外なギャップがある。
出身の札幌国際情報高校は道内では有数の進学校で、しかも成績も良く、得意科目は英語。
語学力は外国籍選手とも英語でコミュニケーションを取れるほどだそうだ。
アビスパの最終ラインには3人の外国籍選手がいるため、間違いなく強みとなる。
高校2年生の頃に右足内側靱帯断裂で離脱をした際も無駄にはせず、筋トレをして屈強な身体を手に入れた。きっと、近年の怪我も無駄にはしていないはずだ。
高校生3年生ですでにJ2の試合に出ていたために年齢もかなり重ねているものと思ってしまうが、まだ27歳。
CBのピークとされる年齢を迎えるのはこれから。福岡の地で、奈良竜樹のトップパフォーマンスを見られることを期待している。