個人的に選ぶアビスパ以外の試合ベスト15 第11〜9位
「個人的に選ぶアビスパ以外の試合ベスト15」
ルールは、生中継で観た試合限定で、アラサーの自分がしっかり覚えている試合のみ。
ほとんどがアビスパと同じぐらい大好きな日本代表絡みの試合です。
今回は第11〜9位まで。
第11位「2012年ロンドン五輪スペイン戦」
2012年に行われたロンドン五輪。
関塚監督率いる日本代表は初戦からいきなり、優勝候補筆頭とも言われた欧州王者・スペインとの対戦となりました。
日本もFWに永井、MFには清武、山口、DFに酒井宏樹、GKに権田といったのちにフル代表に選出される選手達に加え、DFにはオーバーエイジ(23歳以上の選手を3人まで招集できるルール)で吉田と徳永を招集するなど非常に楽しみなメンバーは揃っていましたが、スペインはそれを遥かに上回る豪華絢爛な面々でした。
GKにデ・ヘア(現マンチェスター・U)、DFにはジョルディ・アルバ(現バルセロナ)、MFにハビ・マルティネス(現バイエルン)やイスコ(現レアル・マドリー)、FWにはフアン・マタ(現マンチェスター・U)。当時すでに世界的に名の知られた選手がゴロゴロいたのです。
この試合の、いやこの大会の日本代表が素晴らしかったのは、どこが相手だろうと全く怯むことなく、自信を持って積極的に戦ったところ。
欧州王者のスペイン相手であっても、良い試合を、ではなく一泡吹かせてやる、という気迫が試合開始から90分を通して伝わってきました。
一方のスペインは優勝を目指すチームにありがちな、試合をしながら段々と完成度を上げていこうという狙いだったのかやや淡々とした内容。どことなく、最終的に勝てればいいという雰囲気がありました。
そんな対照的とも言える2チームが対戦した結果は…。
堅守をベースに永井の圧倒的なスピードを活かした日本代表が、大袈裟な言い方ではなくスペインを内容で圧倒してしまうのです。
とはいえ試合序盤は、スペインがさすがのパスワークからチャンスを生み出していきます。
日本は落ち着いて、吉田・山口を中心とした守備陣が人数をかけて対応。シュートを撃たれても最後の砦・権田がしっかりゴールに鍵をかけます。
ピンチのあとにはチャンスが訪れるもの。34分、清武が蹴ったCKに相手より一瞬早く反応したのは大津。滑り込みながら足に当て、これがネットを揺らし日本が先制しました。
ちなみに大津はこの大会のラッキーボーイとなり、チーム最多の3得点を決めています。
そしてこの1点で攻守のバランスが崩れたのは、経験値で上回るはずのスペインのほうでした。
42分、ゴール前で永井の反転に付いていけず完全にユニフォームを引っ張って倒してしまったイニゴ・マルティネスがレッドカードで退場。
1-0でリード、数的優位という最高の形でハーフタイムを迎えると、後半はギアを上げて攻めるスペインをカウンターで何度となく危機に陥れます。
中でも永井は幾度もGKと決定機を迎えました。残念ながらシュートがことごとく枠を逸れてしまい追加点とはなりませんでしたが、1-0という最少得点差とは思えないほど内容でもチャンスの数でも完全に上回った日本が、スペインに勝利し世界中を驚かせたのであります。
日本はそのまま快進撃を続けました。
残念だったのは準々決勝のエジプト戦で永井がアフターのタックルを受け負傷してしまったこと。
チームのキーマンであった永井を欠いたこともありメダルこそ逃しましたが、それでも4位という堂々たる成績を残しました。
第10位「2012年J1昇格プレーオフ決勝」
2012年シーズンより、J2で1位と2位のチームの自動昇格に加えて、3位〜6位までが参加するトーナメントを行い(同点の場合順位が上のチームの突破)優勝チームが昇格、というJ1昇格プレーオフが行われるようになりました。
そして初年度となるこの年の決勝は、国立競技場で、シーズン3位のジェフユナイテッド千葉にシーズン6位の大分トリニータが挑むという形。
この時の大分は、09年の経営危機でJリーグから資金を借り入れたために交付されていなかったJ1ライセンスを、県民からの寄付・行政や企業からの支援で返済しなんとか交付されたばかり。その方々の声援も背に受け戦っていました。
自分はこの一戦を、この当時大分が好きだった友人宅で大分を応援しながら観戦していました。その背景があってのこの10位という順位でもあります。
試合はシーズンの順位でも上回る千葉が、そのままの勢いで攻勢をかける展開。
前半から何度となく大分ゴールに迫りますが、大分のGK丹野の活躍でなんとか0-0の時間が続きます。
昇格のためにはゴールが必要な大分は73分、プロとしてのキャリアを千葉でスタートしたFW林丈統を投入します。ちなみにこのシーズンの林は5試合0得点と結果を残せていませんでした。この極めて重要な局面で林を投入した田坂監督はまさに勝負師。
ただ、その後もすぐには流れは変わらず千葉ペースで進み、観ている側が頻繁に残り時間を確認しだした86分でした。
準決勝で4得点を挙げたFW森島康仁のパスに反応しDFラインの裏に飛び出したのは林。
シュートコースを切るべく飛び出してきたGKを確認すると、冷静にループシュート。
大歓声が湧き起こる国立競技場と、友人宅で叫ぶ我々2人(笑)
このゴールで一気に大分が昇格に近付きます。
残りの僅かな時間でなんとか同点を目指し決死の攻めを見せる千葉でしたが、そのまま逃げ切った大分がシーズン6位から劇的な昇格を決めたのでした。
第9位「2011年アジアカップ決勝オーストラリア戦」
前年に就任し初戦でアルゼンチン代表を破ったザッケローニ監督の手腕もあり、優勝への期待が高まっていたアジアカップ・カタール大会。
難敵に加えレフェリーにもかなり苦しめられますがチームは徐々に調子を上げ、準々決勝では開催国カタールに逆転勝利、準決勝ではPK戦の末に韓国を退け、決勝でオーストラリアに挑みました。
決勝戦に相応しく、一進一退の攻防。
オーストラリアの高さを活かした攻撃はやはり迫力があります。
日本もチャンスは作りながらも得点は奪えず。90分を戦い終えても0-0のまま、優勝の行方は延長戦へ。
韓国戦に続く延長戦で、日本代表のイレブンにもかなり疲労感が窺えますが懸命に戦い続けていました。
それがついに報われたのが延長後半4分。
左サイドを縦に突破した長友佑都が送ったクロスは、エリア内でフリーの李忠成に一直線。
李はこの浮き球にダイレクトボレーで左足を完璧に合わせ、ボールはGKが一歩も動けないままゴールネットに突き刺さりました。
その後はオーストラリアのハイボールを必死に跳ね返しつづけ、ついに終了のホイッスル。
ギリギリの試合を制し続けたザックジャパンが見事、2011年大会のアジアカップ王者に輝いたのでありました。