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アルテリーヴォ和歌山 クラブスタッフ 平川凌大さん インタビュー・中編

Jクラブが存在しない和歌山県からJリーグを目指す、アルテリーヴォ和歌山。

今回はそんなクラブを広報として支え、8月4日に発売(福岡の3店舗では8月6日より発売)となったサッカー雑誌「Voyage」の取材の対応を含め、幅広く活躍している平川凌大さんに話を伺った。

アルテリーヴォ和歌山のサポーターの方はもちろん、岡山湯郷Belle、アルビレックス新潟、ガンバ大阪、欧州5大リーグ、様々なクラブの話が出てくるため、サッカー好きの方ならば楽しんで頂けるはず。  

またクラブスタッフを目指している方にとっては非常に参考になるに違いない。

なお、平川さんのサッカーへの情熱が溢れ、10,000字越えの大ボリュームとなったため前・中・後編と分けて掲載する。

前編はこちら

中編の今回は「岡山湯郷Belleでの経験、そしてアルテリーヴォ和歌山の一員になる経緯」
以下本文。

岡山湯郷Belleでの経験

「岡山湯郷Belleに入ってからは、運営と聞いていたんですけれど本当に何でもさせていただきました。
運営責任者もしましたし営業もさせていただきましたし、幼稚園の巡回のようなホームタウン活動もさせていただきました。
加えて行政等との折衷もさせていただきましたし、サッカークラブのフロントスタッフとしてする事は全てを経験することができたんじゃないかなと、岡山湯郷Belleには強く感謝しています。
特に面接の時もお世話になった、亘崇詞監督と谷本有造前会長には本当に感謝しています。

亘崇詞監督に関わらせてもらったことは私の人生において本当に貴重な経験です。
亘さんは高校を卒業し社会人を経験してからボカ・ジュニアーズや他のアルゼンチンのクラブだったりペルーのクラブであったりいろんなところでプレーをして、そして親善試合で同じチームになったことで、日本人で最後にディエゴ・マラドーナとプレーした選手なんです。
亘さん、さらには解説者として有名な倉敷保雄さんと一緒にトークイベントにも同行させていただくなど、亘さんには南米はもちろんヨーロッパや日本のサッカーのことなど世界中のことを教えて頂きました。
また、フロントスタッフがどうあるべきかといった立ち振る舞いも教えていただきました。

そして谷本会長には、いち社会人としてどうあるべきか、社会人としての立ち振る舞いというものを温かく、ときには厳しく教えていただきました。
スポンサーの方であったり地域の方によくしてもらったりというのもかけがえのない思い出なんですけれど、亘さんと谷本さんにサッカー人として、そして社会人としてどうあるべきかを教えて頂いたことは貴重な思い出です。

岡山湯郷Belleでは2018〜2020シーズンまでの3年間お世話になり、その経験が今のアルテリーヴォ和歌山にも繋がっていると感じています。
ただ一方で、本当に勝てない苦しさを経験した3年間でもありました。
1年目の2018シーズン、岡山湯郷Belleはなでしこリーグ2部に所属していました。しかしリーグ戦では2勝しかできずに最終成績で最下位となり、チャレンジリーグ(3部)に降格することとなってしまったんです。
降格を経験したことは、フロントスタッフをこれからも続けていく中では良くも悪くも大きな経験・記憶になったかなとは思います。
とはいえもちろん、これを美談にしてはいけません。今でも降格させてしまったことを思い出しますし、運営責任者としての責任を感じます。
その後の2年間は何とかなでしこリーグに戻りたいという思いはあったんですけれど、残念ながら私がいた期間に昇格することはできませんでした」

それでもその苦しさの中だからこそ、気付いたこともある。

「なかなか勝てなかった3年間だったので、それまでのサポーターとしての目線とは違う、フロントスタッフでの目線で勝つことのかけがえなさというものを知ることができました。
自虐ではなくて、でも本当に本当に勝つことがなかなかできなかったので、余計にその価値がかけがえなくて。
サポーターの方が喜んでくださる姿、笑顔で帰ってくださる姿に喜びをより強く感じた3年間だったなと思います。

インターンシップでお世話になったアルビレックス新潟、3年間働いた岡山湯郷Belleでのことは本当に良い思い出になっています。
アルビレックス新潟では2016年の松本山雅FCとのビッグスワンでの試合で3万1千人ほどが入り、その時の両チームの声援をタッチラインの近くで聞いた事は今でも忘れません。
岡山湯郷Belleでも800人程のお客様が集まった試合での声援は忘れられない思い出ですし、そういった経験を今のアルテリーヴォ和歌山でも還元できているかなと思います」

試合中に第四審とコミュニケーションを取る様子

―岡山湯郷Belleからアルテリーヴォ和歌山へと移ることとなった経緯を教えてください。

「実はフランスから帰ってきた2014年11月に、アルテリーヴォ和歌山のボランティアスタッフに1度行っていました。
もちろん地元にアルテリーヴォ和歌山というサッカーチームがあるという事は知っており気になる存在だったので、フランスから帰ってきてJAPANサッカーカレッジに進もうと決めたタイミングで、アルテリーヴォ和歌山を見てみたいなと思ったんです。
その時に『来年からJAPANサッカーカレッジに行くんです』という話を簡単にしていました。
その後も、JAPANサッカーカレッジの2年生の秋に2週間、インターンシップでアルテリーヴォに行かせて頂きました。
その時にGMをされていた児玉佳世子さんと当時フロントスタッフの菴田さんという方と2週間一緒に仕事をし、ホームゲームも一緒に運営させて頂き、2016年にアルテリーヴォが関西サッカーリーグで優勝できるかどうかという試合に関わることが出来ました。
結果的に試合には勝てなかったんですけれど、関西サッカーリーグで優勝することができたんです。

こういったことの経験があって、児玉GMやみなさんに覚えて頂いていたようです。
その後一般企業に就職してからも時々事務所に行き『神戸に配属先が決まりました』などの報告もしていました」

和歌山という故郷への想い

「2020年の春に岡山湯郷Belleでの3年目を迎えるタイミングあたりではもう、サッカークラブのフロントスタッフとしていつか和歌山に帰りたいという気持ちを強く抱いていました。
それが岡山湯郷Belleからなのか他のサッカークラブを経由してからなのかは分からないけれど、とにかく最後は和歌山で。アルテリーヴォでフロントスタッフとして勤めたいという気持ちがあったんです。
そんな時にコロナ禍になり、気軽に帰れなくなってしまって。それによって余計に、和歌山に帰りたいなと思ったんです。
私は中学の頃に父親を亡くしていて、兄弟もいないので実家には母親1人で。
ですのでいつか和歌山に帰り、母親の近くに戻らなきゃなという気持ちもありました」

そういった平川の思いと縁が、目標へと導くこととなる。

「そういう時にアルテリーヴォの菴田さんから電話をいただいて、冗談交じりに『アルテリーヴォに来ない?』といったお話しをいただいたんです。
この時は、有り難いので考えさせてください、と伝えました。その後、コロナ禍でお客様をどうやってスタジアムに入れるかとクラブで話になったときに、アルテリーヴォが有観客でやっているという話を聞いたので、話を聞きたいなと思い児玉GMと話させていただいたんです。
その中で児玉GMからも『よかったら、本当にアルテリーヴォに来て欲しい』という話をいただいて。
実は菴田さんが退職されるという背景もあったんですけれど、最終的には和歌山でサッカーの仕事がしたいと思っていたのでじっくり話を聞いた時に『これは千載一遇のチャンスなんじゃないか』と思ったんです。
直感的に、このタイミングを逃せば当面和歌山には帰れないんじゃないかなとも感じました。

とはいえ岡山湯郷Belleもかなりやりがいはありましたし良いクラブだったのでかなり悩んだんですけれど、これはチャンスだという気持ちが強く、ぜひとも働かせてくださいと私からお願いしてアルテリーヴォのスタッフになったというのが経緯です。
フランスでのとある経験もあって、最後は地元に還元したいという思いが強かったんです」

地元への思いを強くしたエピソード

「フランスのカーンが、私が観ていたシーズンに1部(リーグアン)に昇格したんです。
昇格を決めた試合を観に行っていたんですけれど、引き分けでも昇格決定という状態で、実際に引き分けで昇格が決まりました。
その瞬間にサポーターがピッチなだれ込んで、発煙筒を焚いて大騒ぎになって。

SM CAENがLigue1昇格を決めた後のピッチ①


僕も舞い上がってピッチに入ってしまったんですけれど、周りではサポーターの方がカーンのタオルマフラーやユニフォームを掲げたり、ピッチにキスをしていたりとわが町のクラブを本当に誇りに思っている姿を見た時に、地元のクラブへの愛ってすごいなと思って。

もちろんそれはレアル・マドリーでもドルトムントでもACミランでも全部一緒なんですけれど、ローカルでも地方のちっちゃいクラブに対しても誇りを持っていて、愛があるということをすごく感じて。
そうした時に、最終的には和歌山県内で働きたい、そこで錦を飾りたいと自分の中で決めていました。
ただ最初からアルテリーヴォに行くのは違うなと感じていて、外で経験をしたうえでそれを和歌山に還元できればいいなと思っていたので、その外での経験がたまたま岡山での3年間となりました。
もしかしたらもっともっと先の話だったかもしれないんですけれど、でもこうやってご縁があって今のチャンスをいただけたことは本当にありがたくて、今はアルテリーヴォ和歌山のスタッフになれて本当に良かったなという気持ちです」

こうして平川は、念願叶ってサッカークラブのスタッフとして地元に帰ることが出来たのである。

※写真は全て平川さんに提供頂いたものです。

後編は8月24日公開予定。

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