ゆっくりと、息をしていて。
仕事も
身支度も
洗濯も
掃除も
お風呂も
連絡も
…
全てが出来なかったとき、
私は私以外の人類皆敵に見えていた。
大丈夫かい?という心配の声も
なにか行動しないとだめだよという有難い声も
自分に投げかけられる全ての声が怖かった。
誰も私に構わないでよ。期待しないでよ。
誰にも何も言われたくない。
死にたい。
人生で初めてそんな感情を抱いた。
(人生と言っても今年24になるくらいしかまだ生きていないけれど。)
何もしなくなってから、
4ヶ月が過ぎようとしている。
やっと、動き出したいと思える心になった。
心に余裕が無い時に、
誰と接しても、何を思っても、
プラスに行くことはなかった。
何を言われたって、
「あなたに私の何がわかるんだ」と思ってしまったし、
何も考えないようにしていても、
「なんで私って生きてるんだろう」と考え込んでしまったり。
この感覚はなってみないと説明出来ないし、
理解するのも難しい。
もちろんならないことが1番良いが、
SNSで世界中の人々の私生活を見れるこの世の中で
人の悩みの種は1ミリ先に1000個以上落ちているだろう。
可愛くなりたいと思っても、
上には上がいて絶望するなんてことも普通にある。
" 自分以外、全ての人が敵 " というのは、
あながち大幅にズレてはいないのかもしれない。
でも、そんな世の中でも
心に余裕が生まれたら、
意外と敵は自分に向かってきてはいなくて、
(敵も自分で精一杯だったりする。)
暗くて狭かった私のテリトリーが
明るく照らされて広がって
傍にいてくれる人が意外といたりする。
それに気づくまでは、
生きているだけで良い。
今日は、
コンビニにご飯を買いに行けた
顔を洗えた
ゴミを出せた
散歩に行けた
…
それで十分。
少しだけ欲を言うなら、
元気で生きていてね。
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