【読書雑記】水木楊『思い邪なし:下村治と激動の昭和経済』(講談社、1992年)〔文庫版:『エコノミスト三国志:戦後経済を創った男たち』(文春文庫、1999年)〕

 岸田政権が誕生した。所信表明演説では、「成長と分配の好循環」とか「令和版所得倍増」、「新自由主義からの転換」や「新しい日本型資本主義」といったキーワードが踊った。報道などでは、岸田首相が今後どのような経済政策を展開するのかについて関心を向けた記事が増えている。著書(『岸田ビジョン』)からたどって財政規律を重視するとの見方を示すものから、最近の発言をみて「ケインジアン」に君子豹変したとみる向きもある。さらに、「令和版所得倍増」を看板とするあたり、自らも会長を務める宏池会の創始者・池田勇人を意識していることは明らかだ。
 秋学期、まったくの趣味のような授業なのだが、これから数年、戦前から戦後の経済政策と法制度、さらにはこれらの背景となった政策思潮について論じていこうと考えていたこともあり、夏季休業中、講義メモを作るためにちょっと古い本をあさっていたところ、この本(水木楊『思い邪なし:下村治と激動の昭和経済』(講談社、1992年)〔文庫版:『エコノミスト三国志:戦後経済を創った男たち』(文春文庫、1999年)〕)が目に止まった。92年出版とあるから、購入したのは大学4年生の時。その時以来、たぶんページを開いていない。内容はすっかり忘れてしまったけれども、この本がきっかけとなって下村治という人物を知った。そして、彼が池田内閣の「所得倍増計画」のバックボーンとなる経済理論を独自に築き上げたことを知る。読み進めていくうちに、下村治のきわめて人間的なエピソードは記憶の奥から取り出すことができた。が、経済理論のあれこれは、まったく思い出せない。もしかしたら、その部分は理解しないままやり過ごしていたのかもしれない。この数日読み返してみて、理論のもろもろはすぅーっと頭に入ってくる。大学生の頃よりも少しは知的に進歩したか。
 その後獲得した経済史の知識によれば、高度経済成長や「所得倍増」は、政府の役割に多くを依存していたわけではないということ。この時期はまだ政府の役割は「小さかった」。本格的な福祉国家(大きな政府)になるのは70年以降のことである(杉山伸也『日本経済史』)。政府が果たした役割は、日本の潜在能力を引き出すための条件を整え、日本企業の投資意欲に火をつけたこと。そして「投資が投資を呼ぶ」ことにより件の成長を実現したわけで、政府の財政政策による総需要の創出によるものではなかった。
 岸田政権は、今後、どのような方向性を示していくのだろうか。所信表明演説やその他の素材からいろいろな言葉が流れてくるだけで、一貫性のある政策思潮やメッセージはまだ感じられない。「新しい日本型資本主義」というが、それはどのような像を結んでいくのだろうか。(2021年10月11日記)。

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