【随想】三〇年目の手帳

 数年前、学内での異動が決まり、20年来使っていた研究室を引き払って、同じキャンパス内の新しい部屋に移ることになった。期せずして引越しついでの大掃除となったわけである。
 とても1日では終えられないと、数日がかりの予定で気の乗らない作業にとりかかった。何から手をつければいいのかと途方に暮れたが、まずは机の引き出しを整理することから始めることにした。しばらく開けたことのなかった引き出しのなかを仕分けし始めると、深緑のちょっと大振りの手帳が目に入ってきた(B5版を一回り小さくしたくらいだろうか)。ページを捲ると書道サークルの代表をしていたときのものだった。
 当時は11月末の学園祭が終わると、執行部は代替わり。1月始まりの手帳には、前の年の12月から書き込めるようになっていた。
 ふと手帳を買ったときのことを思い出した。アルバイトを熱心にやっていたわけでもなく、気ままに暮らしていたから、手帳というかスケジュール帳はもっていたけど、書き込む予定なんてそんなにない。見開き一ヶ月の予定が書き込めるだけの小ぶりで薄っぺらなものを使っていたと思う。
 書道サークルの代表を引き受けたからには、きっとやらなければいけないことがたくさんあって、手帳にはいろいろなことを書き込むのだ。そんなふうに思っていたのだろう。「ノート代わりにもなる分厚い手帳が必要だ」と気合を入れて表紙のしっかりした大きなものを買ったのだ。たしか、わざわざ銀座の伊東屋まで出かけて選んだものだったと思う。
 中身は、なかなか興味深いものだった。わたしは手帳を読み返すことなどしないから、30年ぶりにそれを開いたことになる。スケジュールの書き方などは、驚くほど現在のスタイルと変わっていない。よく物忘れするので、しなければならないことを列挙し、先頭に四角いチェック欄を書き込んでTo-Doリストを作るそのやり方も。
 スケジュールにもチェックリストにもしばしば現れるのが、「◯◯先生へのお手紙・お礼状」という記載である。当時、U先生、N先生、H先生、T先生の4先生からご指導いただいていた(U先生は、わたしが代表を務めていた平成3年5月に亡くなられた)。三田・春日神社で、水曜日と金曜日、練習会が終わるたびにお礼状を書いて送っていた。用事があり、先生のご自宅にお電話するときも事前にお手紙で電話をする旨を知らせていた。それはもう、毎日何通も手紙を書いては送っていた。
 最初は、手紙を1通書くのに何時間かかったかわからない。書の先生に送るのだから、とても緊張して丁寧に手紙を書いたものだった。言葉遣い、文面、構成、そして字配り……。やがて、下書きせずとも、一気にちゃんと書けるようになる(というか、度胸がつく?)。
 また、スケジュールの欄外にしばしば現れるのが、季節の移り変わりで気づいたことの書き付け。最初、手帳を読み返していたときは、「わたしにも風流な面があるな」などと、ちょっと得意になっていたのだが、なんということはない。時候の挨拶を書くためのメモであることを思い出した。毎日の生活が手紙と共にあった。
 折々、先生方からいただくお返事はとてもうれしいものだった。手紙で書いた話題が先生との話のなかで出るのも面白かった。
 SNSやメールが人々の連絡手段として主流となったいまではおよそ考えられない長閑なやりとりだと思う。しかし、なんとも書道サークルらしい豊かな、そしてわたしにとっては懐かしい先生方との思い出である(2021年8月31日記)。

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