【読書雑記】後白河法皇編・川村湊訳『梁塵秘抄』(光文社、2011年)
数年前、亀山郁男によるドストエフスキー作品の一連の翻訳でちょっとしたブームを起こし、一躍話題となった光文社古典新訳文庫。ブームが下火(?)になった現在も、確固とした書業は続けられているようで安心した。
で、ここ数日読んでいるのは『梁塵秘抄』。先日読んだ高橋睦郎の『詩心二千年-スサノオから3・11』(岩波書店、2011年)で、その文学史上における異端ぶり・特異ぶりが述べられており、それに導かれつつ、学生時代に学んだ文化史・文学史の大きなブランクを踏み越えて読み始めた。しかも、手にしたのは光文社古典新訳文庫版。定番の岩波文庫版でも筑摩文庫版でもないところがミソだ。
『梁塵秘抄』といえば、「今様」-遊女(あそびめ)や傀儡子などがもっぱらとした流行りの歌謡曲-を集めたもの。「現代風」という意味だから、今なら、さしずめJ-popとか演歌といった感じだろう(この両者にも大きな隔たりがあるが)。だとすれば、やっぱり訳業は、これを念頭においたものであってほしい。
後白河法皇編・川村湊訳『梁塵秘抄』(光文社、2011年)は、『梁塵秘抄』の中から百首が選ばれ、一首ずつ、原則見開き二ページで、右に【訳】、左に【原歌】と「コメント」というか「訳者の思い(!?)」が語られる。たとえば、こんな感じだ。「暁静かに寝覚めして 思えば涙ぞ抑え敢えぬ はかなく此の世を過ぐしては いつかは浄土へ参るべき」。と、こんな原歌が訳者にかかると「ひとりねの朝に めざめて 見た夢の/あなたの面影を追いかけて/ひとり 涙流すのよ/はかなく つらい ひとの世を/どうして 生きれば/ほんとの幸せ くるのやら」となる。読んでいるうち、確かにベタだが、何かテレサ・テンや桂銀淑の歌を聞いているようではないか。石川さゆりや八代亜紀も出てきそう(笑)。訳者は、自ら告白しているように、女性演歌が好きらしい。好みが如実に現れている。
竹内まりやの歌や荒井由実の詩のささやかなファンでもあるわたしなどは、この『梁塵秘抄』が彼女たちの手にかかるとどんな風になるかを思い描きながら、いつの間にか読んでいた。中島みゆきや大黒摩季にも歌わせてみたい......。秋元康が書いたなら......。「今様」こそ、こうした「悪ノリ」を楽しみ、それが、多分、源平相争う激動の時代に、詩歌における正統と異端の価値顛倒をよろこんだ後白河法王の意図にかなうのではないか......、と思ってみたりする(2012年3月19日記)。