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「叱る」を再考する ~「<叱る依存>がとまらない」の読後感想~
叱る。家庭でも、学校でも、職場でも見かける風景ではないでしょうか。この世間にありふれた「叱る」を根本的に考え直し、Updateする。それが本書「<叱る依存>がとまらない 」を読み、私が得たことです。
叱ることで行動が改善され、成長してくれる。
感情的に怒るのと違って、指導のために叱るのは必要。
叱るのは相手のため。
これらのように考えている人は多いのではないでしょうか。私も本書を読むまで、あまり叱ることはしないにせよ、部分的には同様に考えていました。
しかし、これらの考え方はナンセンスだということです。臨床心理士・公認心理士の著者が脳科学や最新の研究結果から述べています。
受け手にとって、叱られると脳が防御モードに入るため、「本当に変わってほしい姿」にはならない。その場をしのぐだけになる。
受け手にとって、怒られるのも、叱られるのも、防御モードに入るので同じ。意味が違うと考えているのは叱る側の一方的な思考。
叱るのは相手のためではなく、自分のため。叱って、一時的な自己効力感によって脳の「報酬系回路」が刺激されドーパミンが出る。報酬を求めて、叱ることを繰り返すという「叱る依存」になりやすい。
叱ることで人間の報酬系回路が刺激されるという話が印象的です。
人は自然と人を叱りやすくなっている。
SNSなどで全く関係ない人の誹謗中傷が行われるのも、処罰欲求が満たされるという「報酬」のためだといえるということです。
これは誰しもが胸に刻んでおくべきことではないでしょうか。
自分は叱られて強くなった、という方もいると思いますが、それは「生存者バイアス」とのこと。生存してきた、成功してきた事例は正しいと認識されやすい。その裏には、そうはならなかった方々が多数いる可能性があるということです。
また、場面緘黙と<叱る依存>は無縁ではないと私は思います。家庭・学校・職場で叱る依存に陥っている人がいる場合、当事者の症状改善は難しく、悪化する恐れがあるのではないでしょうか。私は場面緘黙の認知向上活動をしていますが、本書の内容についても認知が向上されることを期待し、読後感想を書きました。
世間にありふれた「叱る」。自分自身も含めて、ずっと人間がそういうものだろうと思ってきた概念を捨て去ることは本当に難しいですが、それでも「叱る」ことへの認識はUpdateすべきだと思います。