他人に嫉妬する日がくるなんて、思ってもみなかった
人生だいたい何事もうまくいってきていて、失敗した、と思ったことがなかった。人を羨むより、人から羨まれることの方が多い人生だった。
昔からかわいいねと褒められることがそれなりに多かった。歳を重ねれば、美人だよね、とも。勿論際立って美人なわけでは全くない、顔も大きいし。かわいいかかわいくないかで分ければかわいいに属す、その程度だけど、たぬき顔だから褒められやすい。神(あ、両親ですね)から授かった、生まれ持っての容姿を褒められるのが嬉しくて、もっともっとかわいくなりたくて、思春期は勉強そっちのけで部屋では常に鏡を見て、笑顔の練習や小顔体操ばかりしていた。
どうでもいいことを考えることが好きで、でもそれを瞬時に言葉にして喋ることは苦手。だから、昔から自分の思っていることを文字にするのが好きだった。飯田ちゃんの書く文章はおもしろいね。いっつもホームページの日記の更新楽しみにしてる(高校時代、自作ホームページが流行っていた)。Facebookの投稿、長いのに全部読んじゃうのは言葉のチョイスがおもしろいからだよ。本だしてよ!Twitterおもしろすぎ、いつも読んでるよ。……こんな言葉をじゃぶじゃぶ浴びせられてきた。喋るのが下手だから書く、というある意味でのコンプレックスと、普段はゼロに等しいのに書くときだけ発揮される異様な集中力。そのふたつに助けられながら、褒められて育った。あーみんな、意外とわたしの書いた言葉を読んでいるんだな。なんでもない女子が書いた日常のどうでもいいことを、みんなが必死になって読んでいるのが不思議だった。基本的に恥じらいがないので、恋愛について赤裸々に書いちゃう、そういうところが周りの女の子たちからしたらどこか刺激的だったのかもしれない。いわゆる「いいね」やコメントはして来ないけれどひっそり読んでおり、会った折に「見てます」と告げてくる層も沢山いるのが怖いところだ(そんなに喋ったことはないがなぜかFacebookで繋がっている同級生男子、とかがそれにあてはまる)。大学の授業で書いたエッセイが授業内の人気投票(笑)で圧倒的1位になったことは、今でも少し誇りだ。
高校時代、頑張ってちょっとレベルの高い進学校に通っていたため、いつも成績は下から数える方が早かった。でも、そのぶん運動ができたし、顔がそれなりにかわいくて、サッパリした性格なので、そしてそこに「バカ」という要素が加わってとっても愛された。「また欠点取っちゃったあ」なんて笑いながらみんなにテストを見せびらかすものだから。あんなに愛される時間はそれまでにもこれからもないだろうと思うほど、みんなが優しくてあたたかかった。あの高校に通っていたからわたしはこんな穏やかな性格でいられるんだろうなあ、なんて思うほどに。高校時代は所謂モテ期だった。モテるのもちやほやされることも、わたしにとってはとっても楽しいことだ。
新卒では、大手企業で「憧れのお仕事」に就いた。就活の話聞かせてくださいと寄ってくる後輩、なぜか急に自慢げになる男たち。地元の駅で久しぶりに会う友人からも「○○の仕事してるんだよね」と声をかけられる確率がぐんと上がった。結局その仕事は1年も経たずにすぐに辞めてしまったけど、辞めます!とSNSで表明すれば、なぜか「かっこいい」「潔い」「すごい」と褒められる始末。
だからわたしは人に嫉妬したことがないし、いつもどこかで「周りよりも優れているのかもしれない」と思ってきた。自分の変な部分も、弱いところも、さらけ出せば誰かがそれを、その過程を褒めてくれた。実家だって裕福だ。いつも褒められて大切に育てられてきたし、両親の仕事までかっこいい。
でも最近になって、急に自信がなくなることが増えた。セックスがないから。キラキラしているように見えて、本当は家庭が半分くらい崩壊しているから。ひとりで狭いアパート暮らしをしているから。ちょっと心がすり減るような仕事をしているから。どうでもいい男には好かれるのに、かまって欲しい男にはかまってもらえないから。同じ境遇・立場の女たちが当たり前のように持っている「子ども」「幸せな家庭」というものを、人よりいろんなものを持っているはずのわたしは、なんにでも満たされているはずのわたしは、持っていないから。
SNSで友人の妊娠出産報告を見るとイライラするようになった。イライラしている自分に正直驚いたし少し失望している。絵に描いたような嫉妬だ。おめでとう、いいな、かわいいな、と思う反面、ああどうしてわたしはそちら側にいないんだろう、と心を握られるような気持ちになる。
こういう気持ちを味わうようになってから、もしかして、これまでわたしがSNSにアップしてきた結婚報告や結婚式の写真は、同じように誰かを、特に同世代の女たちをイライラさせてきたかもしれないな、と思うようになった。人の痛みは、自分が同じ痛みを感じなければ理解できまい、こういうことだろう。無神経に、いや、どこか自慢の気持ちを込めてせっせとご報告に勤しんでいた自分を今になって恥じる。
他人と自分の生活や境遇を比較してもなにもならないことは分かっている。わたしには彼女たちにない自由もあるし、お金だって自由に使える。わたしにはわたしだけの人生がある。これから先、離婚をするにしても、きっとそれは他の人からすればまた「かっこいい」「すごい」「あなたらしい」なんて言われて褒められ、憧れられるんだろうな、とわかる。だからもう先に言う。うるせーよ。
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