海の底から
草の匂いが鼻腔をくすぐる。何か小さいゴツゴツしたものが体に当たっている。痛い。体を起こすと、目の前には大きな灰色の壁。びっしりと緑の苔が生えている。ああ、そうだ。僕は猫になったんだった。
この星を突然襲った謎の生き物によって、人類はあえなく滅亡した。奴らはゆっくりと時間をかけて、人類を内側から侵食した。美味しい食べ物のフリをして。
初めは世紀の大発見だと言われていた。深海研究の第一人者とも言われる研究所の博士が新種の魚を発見したのだ。長い間、水深八千メートルより先には魚は生息できないとされてきた。高い水圧によりタンパク質の安定が維持できず、魚が科学的に耐えられないためだ。深海一万一千メートルの地球上で最も深い海から発見されたのが「メジヌ」だった。
深海魚は大きく二つに分類される。海底付近で暮らす底生性深海魚と、海底から中層までを移動する遊泳性(漂泳性)深海魚。メジヌは底生性深海魚と定義された。
メジヌは体長十センチほどの小さな魚だった。蒼く輝く鱗は人魚を彷彿とさせ、その肉は他の深海魚と同じように脂がたっぷりとのっていて美味らしい。たちまち食通の人々の間で話題になった。
さらに研究の結果、週に一度食べただけでも魔法のような効果があることがわかった。大人が食べれば不老と回復の効果があり、子どもが口にすればめきめきと健康的に成長する。メジヌは人魚の肉とも呼ばれるようになり、多くの人々がこの肉を欲しがった。
深海一万一千メートルで発見されたメジヌは、発見からしばらくすると、不思議なことに安価で手に入るようになっていた。理由は二つある。一つはメジヌの生息域はどんどん広がっていき、深海まで潜らなくても手に入るようになったから。二つは生息深度が浅くなるにつれ、その体が大きくなってきたからだ。依然として深海に生息する個体は十センチほどであったが、表層に生息する個体は平均して五十センチ、中には八十センチを超えるものもあった。
メジヌは当初底生性深海魚として定義されていた。遊泳性深海魚であっても、表層まで上がってくることはまずない。様々な研究者が海洋の生態系に変化がないか調べたが、メジヌの生息可能範囲が広がっていること、そしてメジヌが巨大化していること以外に大きな異常は見られなかった。
人々は当初、この人魚の肉を週に一度の贅沢として食べていた。肉の効果が人類にもたらす有益を考えても十分だった。しかし価格の低下によって、人々は多ければ毎食、少なくとも3日に一度は食べるようになっていた。文部科学省も子どもたちの健康と栄養のため、当初は毎週月曜日に学校給食で提供されていたメジヌを、水曜日の献立にも含めるよう決定した。
大人も子どももみんながメジヌを食べるようになって、世界は変わった。その成分を点滴に加えれば、患者の容態は徐々に快方へ向かった。体が衰えることがなくなって老人ホームも必要なくなった。どの地域でも供給過多なほど獲れるので、世界の食料問題も健康問題も解決へと向かおうとしていた。
そんなときだった。世界各国で同時多発的に原因不明の大量死が相次いだ。研究者たちは原因の究明を急いだが、ウイルスでも細菌でもないようだった。全員が苦しまずにある日突然ばったりと死ぬのだ。
原因はメジヌなのではないか。そんな言説が取り沙汰されるようになった頃には、もう手遅れだった。大人も子どもも、あちこちでばたばたと倒れるようにして死んでいった。今更食べるのをやめても無駄だった。メジヌを食べたことのない赤ん坊でさえばったりと死んだ。恐ろしい人魚は母乳にまで影響を与えていた。その有益さから、メジヌの成分が含まれていないミルクは存在しなかった。人類はもう、逃げられなかった。
地球は地獄と化した。道端、駅、ショッピングモール。至る所で綺麗な死体と悲しみに暮れる人々が溢れかえった。いつ死ぬかわからない恐怖の中で、人々は家へ引きこもって大切な人と最期のときが来るのを待つしかなかった。
そうして誰もいなくなった。メジヌが発見され、食べられるようになって二十五年後のことだった。メジヌは二十五年をかけて、じっくりと人類を滅ぼした。
というのは、猫になってから本や新聞で得た知識だ。僕には人類滅亡前後の記憶が断片的にしか残っていない。本屋に平積みで置いてあったのを拝借した。
では、人間だった僕がなぜ猫になって生きているのか。わからない。気がついたら猫になっていた。少なくともこの辺りでは、僕以外の「元人間」の姿は見受けられない。僕を研究してくれる人間もいない。答えの出ない問題を考えるのは、やめた。
僕は生まれたときからこの町に住んでいる。幼稚園の頃はバスで少し遠くの私立の幼稚園に通っていた。小学生の頃はランドセルを背負って6年間通学路を往復した。中学校は小学校よりも少し遠くにあったけれど、途中までの道のりは同じだった。高校は隣町まで自転車通学だった。県外の大学までは電車で30分だった。懐かしい。社会人になって、大学とは反対方向の電車に乗るようになっても、家の前のこの道路はずっと通ってきた。
猫になって同じ道を通ると、当たり前だった景色が全く違って見えた。道路は見通しが良すぎて落ち着かない。信号はいくら無視したって問題ない。夏はアスファルトが熱すぎるから、極力、影になっているところや土の上を歩く。雨の日がもっと嫌いになった。足が砂利まみれで気持ち悪いし、猫は傘をさせないのだ。
逆に幼稚園の頃に足を滑らせてはまった田んぼの間の用水路を軽々と越えられたのは気持ちが良かった。そういえば家々の区画を分けるブロック塀の上を、平均台を歩くみたいにバランスを取りながら探検した記憶がある。あれは小学校低学年の頃だっただろうか。友達と無邪気に「猫になったみたい」なんて笑っていたけれど、まさか本当に猫になってブロック塀の上を歩く日が来るなんて。このコンクリートの塀、たまに大きな穴が3つ空いてるところがあって歩きにくいんだよな。
そんなことを考えながら、どこへ行くでもなく散歩をする。猫になると散歩するか、寝るか、寛ぐかくらいしかやることがない。
「おい、元人間」
声がして目線を上げると一匹の雀がいた。彼は情報通で、どこに畑があるとか、どこで水が飲めるとか、生活に必要なことは彼に聞けば大抵教えてもらえる。
「久しぶりだね。どうしたの?」
「おまえ、生き残った人間の話を知っているか?」
「生き残った人間? そんなのがいるの?」
「おれも聞いた話だが、たぬきに育てられた人間がいるらしい」
「信じられないな。たぬきが親だなんて。哺乳類とはいえ子育てできるのか? 映画じゃあるまいし」
「気になるなら行ってみるといい。向こうの山を越えたさらに向こう、樹海の入り口にいると聞いた」
樹海と言えば富士のふもとだ。小学生の頃、夏休みの自由研究で富士山について調べたことがある。ここからだと、たしか人間なら一日中歩き続ければ着く。しかし猫の足ではどれくらいの時間かかるのかわからない。とは言え遊び相手もおらず、人間がゴミにした肉片を食べたせいで動物もまばらになってしまった現在、毎日毎日暇を持て余している。ゲームの主人公よろしく、旅に出るのも悪くないだろう。
「ありがとう。行ってみるよ」
「おう。長旅になるぞ。気をつけろよ」
幸い、食べ物には困らなかった。体が小さくなって、食べる量が減ったこともあるだろう。
メジヌの成分はなぜか植物には効果がなかった。というより吸収しないらしい。無理に与えると成長するどころか、たちどころに枯れてしまう。猫に有害なぶどうや玉ねぎは一応避けて、よく畑を物色した。
人類滅亡間際はベジタリアンが増えて野菜不足になる一方、急激に人も減っていたので、自給自足が新しい生活様式として取り入れられたと本で読んだ。駅前の花壇だったらしいスペースには、雑草に紛れてさつまいもやアシタバが奮闘している。
果たして何ヶ月歩き続けただろうか。人間の頃のように便利な地図が使えるわけではない。ただひたすら富士の見える方向に進むのみだ。猫は視線が低いから富士を横目に歩くのは無理だ。いちいち高いところに登って方向を確認しなければならない。雨の日や雲が多い日は富士山が見えず、その日の移動を断念することもあった。
メジヌが原因で死んだ人間は腐らない。まだ人が死に始めたばかりの頃は、親族がいれば死体を家に持ち帰って火葬していたが、末期の死体は処理する人がおらず、たまに道の真ん中に転がっていることがある。死んだように眠っているみたいに見えるけれど、実際は眠ったように死んでいる。
僕が麓の貧相な山小屋についた頃にはもう、生え変わりの季節を迎えようとしていた。扉を叩く。出てきたのは小さな女の子だった。
「ママ!ねこがいる!」
女の子が叫ぶと、後ろから母親らしき人物が顔を覗かせた。僕の他にも人間がいたのか。驚きと安堵がごちゃ混ぜになって胸に広がっていく。
「どちらさま?」
「あの! 僕っ」
勢いの余り声が被ったのを、母親はにこやかに受け止め続きを促した。
「あの、僕は元人間なんです。信じてもらえないかもしれませんが、人間だったんです。あっ、記憶もあります! ここに生き残った人間がいるって聞いて、それで! あなたも生き残ったんですね!」
「事情はわかりました。粗末な家で大したもてなしはできませんが、中へお入りください」
招き入れられた山小屋の中は、外見ほど粗末ではなかった。木で作られたテーブルと椅子と大量の本。女の子のものだろうか。絵本やおもちゃ、小さなベッドもあった。
「遠かったでしょう。まずはこれを」
差し出されたのは大豆の暖かいスープだった。
「大丈夫です。人魚の肉も玉ねぎも入っていませんから」
猫になってからほとんど生の野菜しか口にしていなかったからか、全身に染み渡る思いがした。
「美味しいです」
「よかった。では、本題ですが」
母親は緩めた口元をキュッと締める。
「私は人間ではありません」
そう言うと、目の前に煙が立ち込めた。思わず目を瞑る。目を開けると、そこには一匹のたぬきがちょこんと座っていた。
「見ての通り、私はたぬきです。私はとある研究者に拾われ、彼の死の間際にチカの世話を託されました。チカは彼の孫にあたります。両親はいません。チカの母親は一人でチカを産み、すぐに亡くなったそうです。チカは母乳を飲んでいません。彼が開発した人魚の成分を含まないミルクで育てられました。彼女が生き残ったのは、人魚を一切口にしていないからです」
「でも人間の子供は、胎内にいる時点で母親から人魚の成分を受け取っていると聞いたことがあります。それでも彼女が生存しているのはどういうことですか」
「わかりません。あなたも人間のときは人魚の肉を食べていたのでしょう? なのに死なずに猫になった。生まれてから一切人魚を食べていないこの子が生き残ってもおかしくはないはずです」
「それはまあ。たしかにそうですが」
「ねえねえ、ねこさんこれ見て」
向こうで絵本を読んでいたチカが側に走り寄ってきた。チカが差し出したのは、小さなフィルムカメラだった。
「これね、死んじゃったおじいちゃんがくれたの」
このカメラはチカにとって形見になるのだろうか。両親の顔を見たことがなく、祖父に引き取られたチカは唯一の肉親をも亡くしてしまった。まだ小さいのに。
いや、この世界にはきっとそういう子供は沢山いたはずだ。親が死んで、ろくに食事もできずに人魚に殺されるのを待つしかなかった子供が。人魚に蝕まれた体は健康になる。人魚のもたらす死は寿命とは違う。病気でもない。年齢の順に死ぬわけでも、免疫力の弱い順に死ぬわけでもない。そう思うとやりきれなかった。やり場のない怒りが込み上げてくる。
カメラ。そうだ、カメラだ。街には防犯カメラが沢山ある。それを一つ一つ辿れば何かわかるかもしれない。猫の体でできることは限られているけれど、人間の姿になれる母親がいればパソコンの操作もできるかもしれない。
それに、チカがいるということは、人類が全滅したわけではないかもしれない。まだどこかで誰かが生きている可能性だってある。チカの他にも、誰かが命がけで守った命があるかもしれないのだ。
希望を失ったわけではない。どうにか人間の体に戻れる方法はないだろうか。メジナの研究をするにも、この体では不便すぎる。
「あの、名前をお伺いしても」
「ムジカです」
「ムジカさん。チカちゃんを連れてここを出ましょう。今すぐにとは言いません。でも他にもチカちゃんのような子供、あるいは僕のように生き残った人間がいるかもしれない。僕はメジカが人類にもたらした災厄を研究し、生き残った人たちがいるなら助けたい。力を貸してもらえませんか」
「それには賛成できません。チカはここにいれば安全でしょう。外に出て危険に身をさらす必要はありません」
「二人でずっとここにいるつもりですか。チカちゃんはまだ幼い。人間は順当に歳を取れば八十年は生きます。失礼ながら、ムジカさんが亡くなったらチカちゃんは一人で生きていかなければならなくなる。それはあまりに酷ではありませんか」
「それは……」
「正直、生き残った人間がいるという話を聞いたときは驚きました。しかし状況から考えても生き残りを探すのは決して無謀ではないと思うんです」
母親の顔つきが変わった。
「わかりました。あなたを信じます。ですが時間をください。チカはまだ五歳です。チカが十歳になったら、ここを出ましょう」
僕はチカが大きくなるまでの五年間をここで暮らすことになった。ムジカの作った人間らしいごはんを食べ、チカのおじいさんの残した研究資料を読む毎日。たまに生まれた町の近くまで戻っては本屋を物色し、雀からも情報をもらった。しかし生き残った人間の話は聞かなかった。五年後までに手掛かりだけでも見つけたい。
僕もムジカもいずれ死ぬ。チカが最後の人類だとは考えたくない。たった一つの希望がここにはある。人類を滅亡などさせてなるものか。
三ヶ月後、僕はここを出ることにした。この体でできることは少ないけれど、それでも話を聞いて回ることくらいはできる。五年間を無駄にすることはできない。今はとにかく少しでも情報が欲しい。
その旨をムジカに話すと、かなり渋られたものの最終的には承諾してくれた。僕はまた一人で、いや一匹で旅に出ることになった。この一歩の先に人類の未来が繋がっているのか、いないのか。僕にも世界を変えられるかもしれない、なんて思ってしまう
当たり前の日常は失われた。家族も友達も町も、失ったものは二度と戻らない。だからこそ次に繋がる、繋げる道を僕は探すのだ。