【短歌一首】 墓誌記す三月十日の四名は大空襲に露と消えたり
10月は親族の命日が続き、久しぶりに墓参りに行くといろいろなことが頭をよぎる。
霊園には親族の墓が複数あるが、あらためて墓誌をよく見ると、墓誌に刻まれた戒名の下の命日に、昭和20年3月10日となっている親族が4名いる。
いわゆる東京大空襲と呼ばれる、1945年3月10日未明の東京の下町都心部へのアメリカ軍の大量無差別の空爆。死者約10万人で第二次世界大戦の日本本土の被害の中でも最も大きいものの一つに必ず挙げられている。
子供の頃、寝る前に祖母から何度も聞かされた東京大空襲と関東大震災の体験談。震災や戦災の当時祖母は浅草あたりに住んでいたので、街全体が燃え火の海の中にいるようだっとと聞かされていた。 特に空襲の時の焼夷弾の恐ろしさを何度も強調していた。 まだ幼かったのでほとんど震災と戦災の二つの話の区別はついていなかったが、よくもそんな恐ろしい惨事を祖母は生き残ったものだと感心したものだった。
そして東京大空襲では自宅も焼失し、親族、親戚、知り合いなども多く亡くしたという話を祖母がしていたことを思い出した。
軍事施設でもない場所、民間人を無差別に攻撃するなど、今の時代であれば国際的に人道上到底許されないものであるが、当時はそれが罷り通っていた。
そして現代においても、世界の至る所で戦争や紛争が絶えることがない。久しぶりの墓参りで、子供の頃に祖母の体験した戦争や戦災の辛さ、苦しさ、悲しさ、理不尽さを、祖母の語り口ともに思い出した。
猫間英介