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石川酒造 ちょっと昔の酒造り

ユネスコ無形文化遺産に、伝統的酒造りが登録されました。
和食や能楽、屋台行事などに続いて、日本からのユネスコ無形文化遺産登録は23件目!カタチのない「生きた文化」が対象なので、お酒というモノが登録になった訳ではなく、杜氏や蔵人と呼ばれる酒造りに関わる職人が築き上げてきた、こうじ菌を使う酒造りの技術が登録となりました。知識と技術に加えて、社会的文化的要素も考慮されての登録なのだそうです。
ここで、伝統的酒造りの紹介であれば、日本各地の気候風土に合わせて発展し、日本酒や焼酎、泡盛、みりんなどの製造を通して受け継がれてきた「伝統的酒造り」の技術には大きく三つの工程が…云々と続く訳ですが、今回はその話題ではありません!笑(気になる人はググってね)
500年以上前の室町時代に確立したと言われる、この技術。石川酒造でも160年くらいの時間は、受け継ぐことをしてきた訳で。その間には、いろいろなことがあったんだよなー☆と思ったら、ちょっと振り返ってみるのも楽しいかも!と思ったのですよ。
なので、今回は「石川酒造、ちょっと昔の酒造り」の紹介です!
長い前置きでしたが、実はただの昔話をするよー!という話です。


季節労働者たちの働き方

石川酒造の歴史は文久3年(1863)9月1日(旧暦)に始まりました。
当時は農業との兼業でした。創業銘柄は「八重桜(やえさくら)」です。
この八重桜が大正8年(1919)に「八重梅」に変更。そして、昭和8年(1933)年に現在の銘柄「多満自慢」が登場します。

当時のラベル「八重桜」「八重梅」

この新銘柄は、日本が軍国化へ進み、税制も酒造業にとって厳しくなる中でも、より良い美酒を造りたいという思いから「精選せる原料、最新の醸造法により、新時代の嗜好に添うべく鋭意研鑽の結果得たる逸品」(同年の取引先への挨拶文より抜粋)として販売開始。しばらくは「八重梅」と二枚看板で販売していました。

多満自慢の半纏と前掛け着用の蔵人(昭和10年)

昭和22年から25年(1947~1950)に農地改革(農地解放)が行われて、農業を続けることを諦めざるを得ない状況になり、酒造りが本業になったことで、「酒造りは、高度精白をおこない、伝統の持つ手堅さはどこまでも忘れず、積極的におこなう」という方針に。お米の配給難などの困難もある中で、酒造りとさらに真摯に向き合うことになりました。
そんな頃のお話です。

石川酒造では、越後(新潟県)の松代町から来る季節労働者(11月に出稼ぎに出て、帰るのは4月)が酒造りを行いました。
冬場は4~5mの雪が積もる地域で、農業ができない期間にお金を稼ぐため技術を磨いた、杜氏(酒造りの責任者)と働き手の集団です。
2時間ほど歩いてバス亭まで出て、夜行列車に乗り、何時間もかけて石川酒造まで来てくれていました。

秋に酒蔵へ到着すると、まず「酛日待(もとびまち)」という儀式が行われます。
当主である旦那さんと杜氏から、その年の役割分担の言い渡しが行われます。上の役割から順に名を呼ばれ、並んでいく。名を呼ばれると並ぶ全員に「よろしくお願いします」と頭を下げて回ったそう。最後の方に呼ばれる下の役だと20名弱の上役ひとりひとりに丁寧に挨拶をすることに。
そして、その日の夜まで儀式は続き、役についた蔵人が旦那さんの前で「酒造り唄」を披露します。当時は、唄も給金の内、と言われていたんです。何の作業をしているか、リズムや回数が合っているか、離れていても仕事の進行と善し悪しがわかる大事な合図になっていたからです。

そんなこんなで、井戸を洗い清めて神事をし、室(むろ)掃除なども行い、蔵を清潔にしたら、すぐに酒造りが始まります。
釜屋(かまや)というお米を蒸す担当になると、起床は0時半!
他の蔵人は3時起床で4時には仕事が始まります。
11時にご飯を食べて、13時まで昼寝の時間(新人は勉強など)、17時になると一段落で、お風呂、晩酌、とあって19時から1時間は夜なべ仕事というのが蔵人の1日でした。

これらは、石川酒造の先々代杜氏である小山さん(昭和26年に16歳で蔵人となり、39歳より杜氏に就任)が語る昭和30年前後の蔵の働き方。
現在との違いはいろいろとありますが、一番吃驚したことはお給料についてです。
お給料は、半年働いている間は一切決まってないのです。もしお正月に実家に仕送りをしたいとなれば、「番頭さん、前借りさせてください」となる。春、帰る時に挨拶に行ってはじめて、お給料が書かれた給金帳(和紙をさっと折ったものに前借り幾ら、給金幾らと記載)を渡されて、お給料が幾らか知るのです。日数で割ってみると自分は彼より1日30円安かったとか、50円、100円の差があって。給金を人よりも一銭でも多くもらいたいという競争意識で、夢中で働いたそう。いかに認めてもらえるかも重要で、上の役人の仕事を見て技術を盗んで覚えたり、仕事以外の団体生活の中で、杜氏の草履を揃えたり、着物が汚れていたら洗って乾かしたりなども、働きの内と励んだそうです。

石川酒造では平成10年(1998)から社員での酒造りに切り替えをしました。季節労働者として蔵に来てくださっていた小山さんをはじめとした方々が、住まいを東京に移し、「多満自慢は我が子」との想いで引き続き働いてくださったので、技術と知識が途切れず今に至っています。

ちょっと昔の酒造り

タイトルを回収しないと!
でも真面目に語ると難しくなっちゃうので、石川酒造の史料館にある愛嬌たっぷりの人形たちの写真と共に、さらりとまいります!

洗米、浸漬

<お米を洗う・浸漬>
糠、米粉を洗い落とし、水分吸水をさせる。水はとても大事で、当時は井戸換えという井戸を綺麗にする作業と神事もありました。

蒸米

<お米を蒸す>
左上の蒸気が上がっているのが甑(こしき)、左下にいるのは釜屋(蒸米係)。蒸し上がりの具合を見るのにひねり餅を作り、杜氏に献蒸(けんじょう)します。ひねり餅は検蒸米と言って、お米の蒸し具合を杜氏に見てもらうためのものです。杜氏は指の感触や見た目(電気にかざして見る)で蒸し具合を確認します。
石炭事情が悪く、釜の火は石炭ではなく、亜炭で焚いていました。

放冷

<お米を冷ます>
蒸したお米は、酒母造り(前仕込み)用、麹造り用用、掛米(もろみの仕込み)用とそれぞれに適した温度まで冷まします。お酒の種類によっても温度は変わります。
甑(こしき)よりカキで掘り出し、桶で運び、莚(むしろ)の上に広げて冷まします。

仕込み

<桶での仕込み風景>
手前側は「酛(もと)すり」、奥が醪(もろみ)を仕込む桶です。醪の桶は現在「仕込みタンク」と呼びますが、昔は六尺桶でした。仕込みの桶には金の箍(たが)がかけられ、火入れ桶は竹の箍でした。

上槽

<ふねで搾る>
木の船をかたどったような道具に、醪を麻袋に入れ、上からぎゅーーーっと搾ります。搾るという工程を行うことで醪は日本酒(清酒)になります。

貯蔵、熟成

<お酒を貯蔵、熟成させる>
ここでも桶が登場します。今では「貯蔵タンク」ですが、当時は貯蔵桶でした。貯蔵する桶は貯蔵中色がつかないように、白木で作られました。
逆に仕込み桶は20日程度なので、木の中心部分の赤身のところで作った桶を使用していました。
桶の箍をしめる担当は桶屋と呼ばれていました。

酒造の一日

√ハアー宵の酛(もと)すり、夜中の甑(こしき)、今朝の流しが気にかかるー

酒男達の一日が始まる。

朝、釜屋(蒸米係)は、二時目覚まし時計の音と共に起き釜の火を入れる。
ゴーと言ふ音、二階の寝室の窓ガラスが音を立てる。
約一時間くらいで沸騰、二人の助手がつく添番と釜焚きだ。
前の日に洗米された米が桶二~三本の中に入れてある。
添番はゲタを履き中に入り釜屋さんの指示により
カキで米を手桶の中へ
釜屋さんは手桶を持ち甑の中へ
蒸気の上がるのを待って静かに入れる。抜け掛けと言ふ方法だ。
釜焚きは、いかに効率よく石炭を燃やすかだ。
三者が一体となって始めてよい蒸米が出来るのだ。

そんな中、頭役(作業長)の
オーイお願いします の声に全員起床。
時計の針は四時、お頭さんの指示により
室(こうじ)へ行き出こうじをし
その後、盛り作業をする人
又今日の仕込みをする桶へ水をくむ人等
伝達する作業が終わるとそれぞれ休憩室へ
いよいよ蒸米の取り出しだ。
釜屋さんは釜の圧蒸布を取り
ブンジで蒸米を少量取り
みんなの見守る中、献蒸だ。(ひねりもち)

杜氏さんの声を待って釜の火を止め蒸米の取り出しが始まる。
蔵の中には前日支度したスダレの上に莚、中に麻布が引いてある。
最初に糀米、その次に掛米となる。
すべてが計量器に二十キロづつ飯だめに入れ肩にかついで運ぶ。
麦取る人は数をかぞえ報告だ。
厳寒の朝それぞれの温度まで冷えると仕込みだ。
最後の留添となると六~七名で桶のふちに上り
仕込み唄を歌いながら良いお酒が出来ます様お祈りし朝食となる。

√調子が揃うたらシャンにもしようかいヨーイトセー

外は今日もいい天気太陽が欅の合間よく見える

「酒造の一日」文 / 小山光彦


石川酒造の昔の酒造り、いかがでしたでしょうか!
ちょっとマニアックすぎたかな。
酒造りの環境も、日々進化していて、発展しています。
それも含めての伝統的酒造り!奥が深いです。

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石川酒造公式サイト
https://www.tamajiman.co.jp/

日本酒「多満自慢」、クラフトビール「多摩の恵」「TOKYO BLUES」が購入できるオンラインショップ
https://tamajiman.com/index.html

毎月4週目の土曜日とそれに連なる日曜祝日は感謝デー開催日
詳細は公式サイトやSNSでご確認ください。

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