Weekend log vol.6 /大橋裕之 『音楽』
アニメ「音楽」を鑑賞。
主人公の研二、連れの太田、朝倉。不良学生3人組が思いつきで始めたバンド「古武術」。淡々と進む日常に突如おとずれた音楽という衝撃。技術も知識もない3人が、初期衝動のままに音楽にのめり込んでいく。
2019年製作。大橋裕之の漫画「音楽と漫画」「音楽 完全版」を原作に岩井澤健治が監督を務めたアニメーション作品。制作期間7年半。71分間全てが手書きで作画されており、その枚数およそ4万枚超という狂気の作品。
バンド「ゆらゆら帝国」ボーカルの坂本慎太郎が主人公研二の声優を務め、そのほかにも岡本靖幸など、声優陣に実際のアーティストをキャスティングしているのもポイントである。
(森田が古武術の演奏にくらう描写中出現する土管のようなものに、「ゆらゆら帝国」のアルバム『空洞です』のジャケットを連想したのは私だけだろうか。)
ロトスコープ
本作品は、実際に演者が演技し、その動きを撮影、トレースしてアニメーションを作り上げる「ロトスコープ」と呼ばれる技法で撮影されている。
現実であり得ないことを表現できることが、アニメーションにおける最大の武器である。しかし、この技法は実際に起きたことをを2Dに落とし込む作業である。見方によってはアニメを現実に縛り付けているわけで、アニメの強みを潰す技法だという意見もあり、業界において賛否が分かれるらしい。
そんなロトスコープを「音楽」は全編を通して使用されている。特に佳境とも言えるフェスのシーンでは「大橋裕之ロックフェスin深谷」という音楽フェスを実際に開催。その映像を素材にロトスコープを行なっている。
下書きかのようなゆるさと、一度見ただけで目に焼きつく鋭利さが共存する大橋裕之独特のキャラデザインに、人間による演技というリアリティがのることで、「〇〇っぽい」が浮かばない個性的な世界観が生まれている。
初期衝動
初期衝動とは、一目惚れのようなものだろうか。ある日突然やってくるそいつは、どう表現しても芯を喰わず、結局は当人にしかわからない。
幼い頃、父からもらったipodでスガシカオの『奇跡』を聞いた瞬間が私にとっての初期衝動だったとすれば、雷のように心を打つような派手なものではなく、はじめからそばにあったものを初めて認識できたような、安堵に近い感情だったと表現したい。「ああ、私はこれが好きなんだ。はじめからそう決まってた。」という気付きだった。言葉にすると、ますます一目惚れの言い換えのようである。
研二達が初めて楽器を鳴らす瞬間、その後に結成されたバンド「古武術」の演奏を同じくバンド「古美術」のメンバーである森田が聞いた瞬間など、「音楽」には音楽がなす初期衝動や衝撃を、いびつさ、脆さ、カオスさを、視覚表現に凝縮して表現している。
理解不可能な世界が広がるが、それはどうしようもない。「なぜそう感じたか」は全くもって無意味であり、理由のない動機だけが存在している。
私はいつしか初期衝動を感じなくなった。大人になったのだ。哀しくもあるが、現実である。熱いものはやがて冷める。しがらみや時間の制約、実力の限界など。様々な理由で初期衝動はやがて行き詰まり、妥協して折り合いをつける。初期衝動だけで走り続けることは不可能である。
しかし、こう書きつつも、本当に哀しいのは「初期衝動を感じなくなったこと」ではなく「初期衝動を信じられなくなったこと」であるということにも気づいている。
初期衝動に対するノイズは、幼いころにも確かに存在していたはずである。だが当時の私とっては、それは問題ですらなかった。「今更始めるのはサムいから」「初心者として恥をさらしたくないから」全ての言い訳が追いつけないスピードで心に浸透するのが初期衝動なのである。
それがノイズとなっているのは、採算や体裁を理由に一手先二手先を連想することを優先しているからである。
逆に言えば、あの頃にもノイズはあったように、今の私にも初期衝動たり得る刺激はあるはずである。その純度を濁らせているのは、誰でもない自分自身である。
だからこそ、初めてベースを鳴らした最初の一音に「今のさあ、すげえ気持ちよかった」と、素直に言える研二が、私にはたまらなく眩しく思えた。
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