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【MBTI考察】全16タイプにおけるステレオタイプと現実の違い (外交官・NF型編)

まえがき

前回の記事では分析家(NT型)におけるステレオタイプと現実の違いについて解説した。

今回はその続きということで、外交官(NF型)を取り上げて分析していこうと思う。



①提唱者型(INFJ)

一般イメージ:「控えめふわふわ 包容力ある共感者 常に悟りを開いている」

これは正しい。この一般イメージはINFJの表に現れる姿を的確に表象している。

INFJは基本控えめだ。求められれば自分の意見を言うけれども、そうでない限りは自己主張することはせず、いつもニコニコと微笑んでいるか、静かに何か考え事をしている。一対一の会話においては基本聞き手に回るし、集団においても話題を振って初めて喋るような存在だ。

この立ち回りは親密度が高くなったとしても基本的に変わらないことが多い。心を開ける相手にはペチャクチャと喋り倒すINFPと対照的である。

この立ち回りはSNSにおいても発揮される。彼らは中々グループLINEにおいて発言しないタイプである。日程調整の際も、誰も傷つけない選択肢を取ろうとするため最後の方まで中々取り行ってくれない。メンションでもして促さないと投票してくれなさそうだ。

性別関係なく、独特のふわふわとした天然オーラが漂っているのも特徴だ。ただし、同じ天然とは言えども、後述するENFPとその実態は大きく異なっており、“おバカさんな”というよりも“俗世離れした“天然であり、掴みどころのない少し異様な雰囲気を醸し出している。越冬し姿を現し始めた春の新芽のような、柔らかい緑色のオーラで包み込んでくるのだ。誠に形容し難い。

そして共感性が異常に高い。感動的な映画を見ている際、真剣に集中しながらもダラダラと涙を流している不思議な客がいたらおそらくINFJだ。

「常に悟りを開いている」これは若干言い過ぎだとは思うが、言い得て妙である。

彼らは常に達観しており、俯瞰して物事を見ている。そういった姿勢から悟りを開いているように見えるのだろう。

また、他タイプが理解に窮する程に極められた、人間関係に関する思考と美学もそのステレオタイプの形成に寄与しているだろう。

彼らは実用的な微視的思考だけでなく、哲学的な巨視的思想も持ち合わせており、言語化できなくとも広範囲にわたる観念を形成している。例えば、INFJと話していると、「お前はそう言うと思った」とか「絶対こうなると思った」のようなタイムトラベラー的な発言をしてくる場合がある。これはNJ全員に共通するが、どうやらINFJの他者に対する未来予知の精度は特に凄まじいようである。


ここまで読むと、一見凄まじい哲学者のように見えるが、意外とポンコツな点も見受けられる。

理想の高さが故に生じる謎の完璧主義により、誰の意見も聞き入れないひどく頑固な一面がごく稀に見られる。どうやら人の意見では納得できないようで、現実を見ずにそのまま突っ走ってしまう(そしてそう言う時は大抵失敗する)。
これはENFJと対照的である。

そして、INFJはかなりニヒルだ。調和主義で共感性は高いけれど、それはあくまでも補助機能として働くため、ウィットに富んだ不謹慎なユーモアに対して邪悪な笑いで反応したりする(ちなみにENFJは不快そうな顔をしながら貼り付けた愛想笑いで返してくる)。

また、INFPほどではないとはいえ、かなりステルス耐性が高く、様々な姿が見られる。
刺々しい思想を持ち、他者を受け付けないINFJもいる一方で、『人間関係も完璧でありたい』と高い理想を抱いて陽キャの香りを醸し出すタイプもいる。

全然性格が違うように感じられるが、深い所は共通している。人間関係に関する深遠な洞察と、そして度が過ぎた理想主義だ。未来を見据えながら大望を抱くその姿からは、ある種のカリスマ性すら感じられる。



②仲介者型(INFP)

一般イメージ:「空想的で理想を追い求める心理学者 お豆腐メンタル」

概ね正しい。プラスの面とマイナスの面双方を抑えており、リアルでの姿とかなり合致するイメージとなっている。

INFPは本当に空想的だ。常日頃から非現実的な妄想を繰り返している。しかもENXPとは違い一つの物事に対して深く長く妄想を続け、それを記憶するため、そのイマジナリーワールドは想像を絶する広さになっていたりする。

そしてINFJ程ではないとはいえ、かなり理想的だ。子供じみた望みを抱きながら、日々現実と戦っている。その為結構な確率でドジだ。現実の厳しさはわかっているのにも関わらず、先に気持ちや理想を優先してしまうため、かなりの頻度でしょうもないミスをする。一時の感情で人間関係に問題を生じさせてしまったり、ちょっとした好奇心で取り返しのつかない失敗を犯してしまったり。起こすミスの種類は枚挙にいとまがない。

ただし一応現実を視野に入れているのでNFJのように人生を棒に振る様なとんでもないやらかし方をする事はない。絶妙なバランスでギリギリ社会に指を引っ掛けているのだ。


心理学者.....。これはよくわからない。ただ彼らの共感性はINFJに負けず劣らず優れている。漫画やアニメでつい並々でない感情移入を行い大泣きする事はしょっちゅうであるし、相談した際のメンタルケアもかなり上手い。自分の感情の流れを言語化してくれる。

稀に感情における因果関係を分析しようとする猛者もおり、“心理学者”とまではいかなくとも、人間の心理において深い理解を有しているのは事実だろう。

ただ、INFJと違って最終的に重視するのは“自分の感情”である。自分は自分他人は他人と割り切っている節がだいぶ強い為、「助けたら自分も被害喰らうな.....」といった状況下においては結構見捨てるし、どうでもいい相手には本当に興味を示さない。慈愛の精神は好きな相手にばらまくのがNFPだ。

特にINFPはそれが顕著で、仲良くない適当な相手には心の壁をびっしりと貼る。INTJを彷彿とさせるくらいに冷淡に感じられることもある。その一方で、内面では「うわ、、、また冷たく接しちゃった。嫌われてないかな、、、まぁいいや、、、」みたいなちいかわ的思考を展開している。二面性がある訳である。



お豆腐メンタルは、多くの場合において事実だと思う。何度も言うようだがINFPは子供じみた理想を抱いて現実に立ち向かう性質を持っている。さながらRPGで初期装備縛りをやっている様なものだ。そのため道中でどう考えても勝てない敵に出くわしたりする。当然病むし、「もう嫌だ」「終わった」と自分の殻に閉じこもる。そして復帰までに時間がかかるししばらく根に持ってしまう。お豆腐メンタルだ。しかも絹豆腐。

ただ、幼少期からそんな様子なので、失敗を繰り返していくうちに独自の経験則が確立され、自己のメンタルがやられる前に手を打ったりして回避する様になる。そう簡単に人前で泣いたりはしなくなるし、下手を打たなくなる。木綿豆腐レベルには成長できる訳だ。きっと壮年期までには高野豆腐になれるだろう。


また、巷ではよく社会不適合者と揶揄されるが、実はそこまで社不ではないのではないかと考えられる。とはいえ到底社会に適合しているとは言えないが。

確かに前近代社会における社会適合の極致はESTJであり、その対極に位置するINFPはほぼ詰みかけていた。

しかし、現代社会はだいぶ柔らかくなったし、非情な現実を見ないで生きる手段も整った。彼らのクリエイティビティを発揮する舞台はいくらでもあるし、“しっかり戦う土俵を選べば”社会で生きていける。この傾向は時代が進むと共により顕著になると思う。

好きなものに対して真っ直ぐな性質も社会適合寄りだと思う。本当に深く心を動かされると、INFPはTJ型顔負けの努力でなんとか目標まで辿り着いたりする。

『偏差値30からたった一年で早慶!』といった例はNFPであることも多い。NFPは本質的に夢追い人なのだ。

それに、しょうもないミスはするものの意外に彼らは優秀だ。Ne由来の柔軟さと人当たりの良さ、そして失敗した経験を元に及第点よりも上の働きをしてくれる。

自己肯定感の低さが故に余計な挑戦をしない為、予測可能性がたつという点で上からは一定の信頼を置かれるし、(TJでない)下からは付き合いやすい先輩として慕われるはずだ。

ただし、彼らは人格否定をされてしまうと二度と復帰できなくなってしまうので、接し方には気をつけよう。


また、INFPはINFJと同様にかなりステルス性が高い。陽キャにも、陰キャオタクにも、学者にも、ホームレスにも居たりする。表に現れる性格もその時その場の立場によって多種多様である。

全てNeとFiが向かう方向によってその道筋は決められている。ひょっとしたらそれはINFPがなんとか社会に適合しようと試行錯誤した軌跡なのかもしれない。


ところで

ここまでINFJとINFPの性質について語ってきた。NF型はおしなべて『理想主義者』と語られることが多いが、NFJとNFPによってその『理想』は大きく異なる。読んでいて違和感を持った人もきっと多いだろう。

次の記事では、この文章への補足として『NFJとNFPが持つ“理想の違い”』についてまとめるので、「理想」で引っかかっている人は是非チェックしてみてほしい。




③主人公型(ENFJ)

一般イメージ:「人の幸福を願う正義感ある協力者 承認欲求お化け」

概ね正しい。ENFJの取扱説明書と言っても差し支えないだろう。

ENFJは、皆の幸福を心から願っている。その程度は甚だしく、時に偽善者に見えるレベルである。基本的に争いや対立を好まず、他人の挑戦を素直に応援する。そして、自分が何か協力できることがあればできる範囲で迷わず手を差し伸べるし、落ち込んでいる人がいたら最適のタイミングで最適な言葉をかけてくれる。この分野に関してはENFJの右に出る者は居ないだろう。そして基本的に有能だ。全体的なスペックはかなり高めである。

INFJとの違いも顕著である。確かにINFJも似たような正義感と慈愛の精神を持ち合わせているが、結局のところ内向型であって、相手への無理な干渉は避ける。

一方でENFJは実用的なアドバイスを与えてくれたり、なんならそのアドバイスを一緒に実行まで移してくれたり、プラスの方向に自ら導こうとしてくれる。相手に尽くしすぎて自分が割を食うとしても、苦しんでいる相手の姿を見たくないが為に、少々無理をしてでも干渉する。困った時はENFJに相談すべきだ。


正義感も全16タイプの中で随一だと思う。

ENFJは行動を共にする人間が非倫理的な行動をした場合、例えその相手が友達や家族であっても、啓蒙しにかかることがある。これは「我関せず」を徹底するESFJと対照的である。ENFJはしばしば「教師」と呼ばれるが、これは彼らの特異なこの習性を表したものだろう。

また、その正義感の強さは社会に対しても発揮される。彼らは理不尽な仕打ちを受けたらすぐさま然るべきところに報告し、現状を打破しようとする。意識が高く変に饒舌な口コミを見つけたら多分ENFJだ。

私の知り合いのENFJは、労働基準法に抵触しているバイト先に勤めていたが、学生身分なのにも関わらず徒党を組んで店長に直談判し、環境を変えたことがある。「面倒臭さ」という最大の壁をいとも容易く突破し、不条理な世界すら啓蒙しにかかる。もはや執念に近いものを感じる。

ただしその「正義感」がズレてる場合があるので要注意である。非倫理的で不条理だ!と感じたままに突っ走ってしまうことがあり、そうするとENFJはヒーロー風の偽善者に成り下がる。そんな時は素直に注意してあげよう。


承認欲求お化け......否定はしない。ENFJという複雑で多面的なタイプの持つ、強みでもあり弱みでもある部分を的確に表象していると思う。

ENFJは、良くも悪くも他者のことを「気にかける」タイプだ。他人の視点に立って人を考える習性があるので、「他人から見た自分」を明確に意識しながら行動する傾向にある。

そうすると、無意識の中で「自分をよく見せよう」という風なバイアスがかかる。割とキャリア思考で自己の信念を重視する点と相まって、特大レベルの承認欲求が生まれる。ENFJの意識の高さはここに由来している。

これは成長への動機として適切なのだが、自身の能力が周囲からの期待に応えられるレベルにないと判断すると、変に見栄をはったり話を盛ったりする。ENTPばりにハッタリを高速で展開する場合もある。というか、見栄を張ることは悪いことだと特に思ってなさそうだ。こうなったENFJは普段にも増して胡散臭くなる。

この点はINFJには見られない特殊な性質である。「よく見せたい、認めてもらいたい」という深層心理の元に、内実の伴わない非合理的な行動を起こす場合があり、この点はT型からすると少々気になる部分となる。ただし深く突っ込むと関係性に大きな傷ができる為、寛大な目で見逃すことを推奨する。

それに、ENFJがハッタリを展開している時は、すなわちピンチな時でもあるのだ。理想と現実のギャップを埋める為の行動である訳で、つまり現実に何か問題が生じていると捉えられる為である。

そんな時に揚げ足を取るように突っ込んでしまうと、割と再起不能になる。そして刹那的な快楽に身を任せたり、INTPを彷彿とさせるレベルでロジカル卑屈人間になったりする。

この状態に陥ったENFJはかなりまずいので、今度はこちら側が救いの手を差し伸べる必要がある。NFJ型なのでそう簡単には悩みを告白してくれなさそうだが、根気よく心配すれば救いを求めてくる。


ENFJはNF型の中で1番病みにくいとはいえ、彼らもNF型の例に漏れず、一度沼にハマったらなかなか抜け出せない。

調和を重視するあまり、彼らは人間関係について想像を絶するレベルで考え込んでいる。ESFJのようにサバサバと生きられるタイプでもなく、自己の理想に適した振る舞いが常日頃からできているかチェックする傾向にある。

SFJは素直に集団に迎合するが、NFJはそうではなく、一応自分の芯を持っている。周囲が間違っている場合は、調和の1ピースとなることを嫌う場合もある。しかし彼らは結局のところ周りに合わせてしまい、そんな自分を嫌に思っていたりする。

もしNFJが救いを求めてきたならば、それは相当ピンチであるということを意味する。今までの恩返しのつもりで、素直に話を聞いてあげよう。



④運動家型(ENFP)

一般イメージ:「愛想がいい社交的な少年少女 小学生」

うん。大体のイメージは捉えている。実際多くの場合、ENFPと会った時は大抵こんな印象を抱くだろう。

ENFPの愛想の良さはESFPに並んで全16タイプ中トップレベルである。というか、人に対する受容性が高い分こっちの方が上かもしれない。ニコニコと微笑みながら近づいてきて、「何してるの〜?」とヒョコっと現れ話しかけてくる。さながら王道系のアニメヒロインだ。

また、ENFPは外向型の例に漏れず社交的である。この点においてはENTPよりも優れていると思う。年上年下関係なく物腰柔らかく接するし、偏見の目をあまり持たない。コミュ力全振りかと思いきや結構仕事もこなせるので、組織からは明らかに逸脱する性質を持つものの、その類い稀なる社交センスでムードメーカーとしての立場を確立できるだろう。

ただ、ENPは両向性の傾向にあるタイプと巷では定義づけられており、実際は他タイプに比べかなり個体差がある点に留意しなければならない。極端にインドアな個体が結構な割合で存在している。一生ネットサーフィンやお絵描きのような一人で完結する趣味に没頭して外に出ないタイプが主に当てはまる。


少年少女、小学生とのことだが、ぱっと見の印象はかなりそれに近い。好奇心の赴くままに、至る所に顔を出しては、天真爛漫に振る舞うその姿は、公園を縦横無尽に走り回る小学生を彷彿とさせる。気が抜けるとすぐ脳内妄想タイムが始まり、レベルの違う天然モードに入るのも子供っぽくて微笑ましい。

勝手に行動して勝手に妄想して勝手に喜んだり悲しんだりしている。毎日が冒険と新たな発見に満ちていそうで、人生が楽しそうなタイプの一角である。ESFPが年相応に大人びていくのに対し、ENFPはいつになっても子供臭い。INFPと同様に変な理想を掲げながら目を輝かせている。


ただ、ガキくさいのはあくまでも「表の姿」であり、実はかなり現実的な側面を持っている。

確かにENFPは愛想良く誰とでも仲良くしようとするが、決して全員に対し心を開いている訳ではない。当たり障りなくコミュニケーションをとる一方で、内面ではシビアな基準に基づいた評価を下していることが多い。思わせぶりな態度も、そのうちの半分は計算されて行われていたりする。好んで用いないが、人間関係に損得勘定を持ち込むことですらある。

「陰キャにも優しい一軍女子」は多くの場合ENFPだが、実際陰キャに告白されたら容赦なく振るだろう。別に陰キャ個人にだけ愛想を振り撒いているわけではなく、あくまで社交、友達作りの一環としてやってるだけに過ぎないのだ。勘違いされては困る。

その上に危機察知能力もかなり高く、ESFPと同様にマズイと思ったらすぐに距離をとる。マズイと思う判断の速さは随一かもしれない(※ただし好奇心が上回り、わかっていながらもやらかす可能性がある)。


それに、INFPが子供らしい夢を抱えて、夢のまま嗜もうとする一方、ENFPはそれを現実のものにしようとする。夢や目標のためなら体に鞭打ってまで努力し、結果を出そうとする傾向にある。

先ほど述べたように、INFPも場合によっては凄まじい努力家になるが、ENFPの場合はINFPよりもスイッチが入りやすく、かつ食事や睡眠を無視してまで何かに打ち込む。

追い詰められてからの馬力も凄まじい。NP型全員その点においてはADHD臭い過集中で乗り切りがちだが、ENFPのそれは特に常軌を逸している。ガリ勉どころかガリガリ勉という感じだ。本気で目指すと決めた目標に対しては信じられない程ストイックになったりするのがENFPである(※通常モードは怠惰の極みである)。


ただし、「結果を出し実現したい」という部分と現実が乖離してくると、嘘みたいに病む。その具合は外向型の中でダントツである。よく巷でENFPは明るい躁鬱持ちと言われるが、その通りだと思う。

心は限界を迎えているのに、それを周囲に出すのは申し訳ないと思い必要以上に明るく振る舞う。そして「なんか今日変だったかな.....嫌われてないかな.....」とか思ってまた病む。そして悩む末に何で悲しんでいたのか忘れる。ただ心はダメージを負っているので対処のしようがない「詰み」となる。

とはいえ、ENFPの多くの病みは寝たら治る。感情のジェットコースターを運営しているだけあって、夜中の2時を昂りの最高到達点として、あとは基本的にポジティブ思考であったりする。ここはINFPと大きく異なる点である。

ただし、治らなかった病みはENFPの中で大きな影を落とす。そこから脱出できない状態が続いてしまうと、自己正当化を繰り返す怠惰マシン もしくはメンヘラに成り下がる。

何かおかしいと思ったらすぐに話を聞いてあげた方が良さそうだ。

ENFPは一見簡単に理解できそうなタイプである一方、その中身を把握するのはかなり難しい。「両向性」と「二面性」を意識しながら接すれば、その全容が見えてくるはずだ。



まとめ

今回は「NF型におけるステレオタイプと現実の違い」についてまとめた。
NT型と異なりそのステレオタイプは結構現実に近いものであったが、深い部分では若干の相違点が見受けられた。

自己の理想に生きるロマンチスト、そんなNF型の複雑な内面を把握し、相互理解の関係性を築くことは、人間関係において重要であると言わざるを得ない。

次回は番人(SJ型)についてまとめる。乞うご期待。

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