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芸人当夜  1-03 ー田舎からの脱却ー

03 きっかけ

前回のお話はこちらから。「1-02 迷走と奇策」
https://note.com/i_am_berobero/n/n55b4dba9bdd6



 高校三年。いよいよ大学受験の時期に入った。〈東京に行きたい...〉という心だけ持っていた慎吾は、特に大学に対して執着がない。数多くの大学を「東京」「ブランド」という二つの観点で絞込み、ある一つの結論を出す。

明治大学。

北野武、高倉健など数多の有名人を輩出している名門大学であり、1・2年、3・4年のキャンパスが都心にあるキャンパスも珍しい。特に明大前駅に位置する和泉キャンパス、リバティタワーのある御茶ノ水キャンパスは、立地面でも慎吾の理想にとても近かった。ここだ。慎吾はそう思った。
 ただ、一つだけこの大学への入学に際し、単純でかつ最も大きな「学力」という壁があった。明治大学の偏差値は、学部によって差があるものの、66から79(2020年時点)と非常に高い。各高校トップクラスの成績を収めた人間のみしか入学できない、難関大学だったのだ。慎吾は高校では難関校に在学していたものの、成績としては中の上くらいで、高3の夏までやっていたゆるい勉強を続けていても、合格できる算段は全く無かった。

 ある日、高校の仲間たちと集まった慎吾。いつもの遊び仲間で、この間まで一緒に遊んでいた奴らだったが、今日は全員の様子が違った。

「藤森、もう覚悟決まってんの?!」
『うるせぇ、こういう色気づいたもんがあるから集中できねぇんだよ!』
「そだな。じゃ、やっか。」
「だな。」

そう言うと彼らは、事前に買ったバリカンで、なんともあっさりお互いの頭を刈り始めた。そう、坊主にすることで買い物したい、女の子と遊びたいといった一切の欲をなくし、勉強に集中しようと考えたのだ。実際坊主のような、ファッションとしてはあまり用いられない髪型など微塵の興味もなかった慎吾にとってこれほどの辱めは無く、結果これが〈人に見られたくないから家にこもる→勉強が進む〉という副作用をも生み、やり方があっていたのかどうかは分からないが、結果として大成功した。

 夏休みから猛チャージを決めた慎吾はその後も勉強を熱心に続け、見事明治大学に現役合格した。上京を決めてみせた上に、掴んだ「明治大学」というネームバリュー。名の知れた大学への入学に、心が躍った。


 ところで、ここまでは彼が密かに立てていた計画が順調に進んだ。彼の計画、とはこうだ。

その1 東京に出る
その2 モテる
その3 友達を沢山つくる

 この計画-とは言い難いものだが-のその1を現時点では達成した、と言える。

〈明治大学じゃん!肩書き振りかざして東京で最高な生活ができる!待ってろ東京!〉

とウハウハしていた。しかし、そう簡単にはコトが運ばない。

 まず彼は当時、香港に行って都会暮らしの経験を積んだとは言っても、その年月はたかが3年、結果的に揺らぐことのない田舎者であった。ファッションその他トレンドに関しても、いくらキムタクを見まくったり崇拝していても補えない部分が殆ど。
 加えて慎吾の場合、流行を感じ取るセンスが田舎者である故にズレていた上、純朴な好青年の性格のまんまで育ったため、どうしても田舎感が拭えなかった。〈田舎者だと思われたくない〉〈とりあえずはっちゃけたい〉という思いが人一倍強かった慎吾は、受験勉強が終わり次第(受験前からもちょくちょく見てはいたが)、とりあえずテレビや雑誌を漁りまくり、ハリボテの知識をありったけかき集めたファッションで東京に出てきた。ところがそんな偏った知識で東京民がオシャレ!と感じる服装ができるわけもなく、その慎吾のファッションは異様な風貌だった。髪を染め、カラコンを入れ、"メンエグ"(※men's egg:ギャル男等のトレンドが掲載されている渋谷系ストリートファッション雑誌)片手に渋谷をさまよう姿は、東京を何も知らない地方のギャル男もどきをそのまんま具現化したものだった。
 そして、そんなズレた人間と話す女子がいるほど、東京は甘くもなかった。上京した日に、IWGP(※「池袋ウエストゲートパーク」:2000年にTBS系列で放送された長瀬智也主演のドラマ)の舞台となった池袋西口公園に直行した。「逆ナンパの聖地」として有名なこの場所で、三時間待っても声をかけられなかった。入学してからも、モテたいという理由で入った女子多めなテニスサークルでも距離感がつかめず、数人に告白するも即効でフラれた。サークルの飲み会でも必死に盛り上げようとした。でも、結局は、

「なんだあいつ。」
「うるさいわ~」

と陰で言われ、浮きまくった。サークル誌でも「危険人物」扱いされるほどの嫌われっぷりだった。最初は、
〈東京の洗礼か....〉
とそれすらをも嬉しく感じていた慎吾だったが、次第にただ、周りとズレていることに薄々気づいていく。どんどん話してくれる人、相手にしてくれる人が、消えていく。話に、取り残されていく。

香港への転校よりも心躍った、中学から夢見た上京の顛末は、一人暮らし、彼女無し、おまけに友達も無し。「イケてる奴」を表面上では装いながら、完全に心の中では「負け組」だった。慎吾は栄華の街・東京で完全に行き場を失った。加えて一人で上京しているので、中学生の時のように親と話す機会すら無い。どこにもはけ口がなかった。

「また、ハブられた...」
「なんかあいつも最近冷たいな...」

いつも経堂に借りていたアパートに一人で帰り、その日起こした失敗、その場の空気観、周りのヤツらの視線を思い出しては、涙が止まらなかった。東京を夢見た長野生まれの田舎少年、その見る影もなかった。
〈どうしたらいいんだよ、俺.....〉
自分は何をしにここまでやってきたのかも分からなくなった。

しかし、引きこもるほど慎吾は臆病でもなかった。慎吾の逆襲は、知らぬ間に始まっていった。一度東京という街にフルボッコにされた彼は、持ち前の「優しさ」と「気前の良さ」で、くたばることなくサークル活動(という名の飲み会がほとんどだったが)に積極的に参加していった。浮いているのは分かっていた。だがあきらめない。〈一緒に楽しくやりたい〉。そのまっすぐな思いが次第に通じていった。そして慎吾自身も、東京の雰囲気に慣れていった。お互いの悪い点が消えていった先には、わだかまりなど、もうなかった。友達が次第にできていき、ついに最初の(といっても過言ではない)「彼女」を勝ち取る。ついに苦しいトンネルを脱した。友達伝いに見つけた「ガチの」ファッションセンスを持つ友達に、東京コーデのイロハを叩き込んでもらった。ついに苦しいトンネルを自らの手で脱出し、慎吾の「東京」が始まったのだった。

 気を良くした慎吾は、勉強にも更に力を入れた。面白い授業をする先生の講義には、履修している/していない関係なく参加した。その中にはあの有名な斎藤孝先生の講義もあった。必修でなくとも、「面白い」から参加した。また「入ることが難しい」とさえ言われていたゼミにも自らのステータスが上がる、という理由で参加し、ディベートなども進んでやった。常に盛り上げ役で会話を弾ませて、ゼミの先生からも高評価をもらっていた。


 このころ、飲みサーことテニスサークルに意義を見いだせなくなり、オマケに自らが生活する資金も底をつき始めた。決心し、アルバイトを始めることにした。資金がなければオシャレも出来ないし、飯も食えないのだから致し方ない。アルバイトを探していると、保険会社の自動車事故対応を行う電話オペレーターの仕事が見つかった。給料もそこそこ良かったので応募してみた。適当に面接を受け、採用となった。

 元々は夜勤がメインのバイトだったが、最初は昼間のみのシフトで徐々に仕事に慣れていく。自動車事故は案外多く起こっているみたいでよく電話がかかってくる。そりゃこんなにバイトが要るもんだ。そして、そろそろ夜勤のシフトに入ろうとしていたある日、こんな噂をバイト仲間から耳にする。

「な、夜勤にすげえ奴がいるらしいんだけど、藤森見たことある?」
『え?』
「いやさ、夜間のシフトに入ってる奴の話がめっちゃ面白いんだってよ。それでもうみんなで大爆笑らしいぜ」
『へぇー、そいつ、名前は?』


「中田ってやつらしい」


(2-01 謁見 につづく...)



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