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英文解釈演習室2023年4月号

【訳文】ペンネーム I am a cat.

 その朝、小賢しいけれど深い洞察力には欠けるジム・サムスが、いやな感じの夢から目が覚めて気がつくと、巨大な化け物に変身してしまっていた。ずいぶん長いあいだ(あまり好きではない)仰向けの姿勢のまま、遠くの足、欠損した手足を愕然と見つめた。たったの4本――当然だ――しかも自由に動かない。すでに郷愁を感じつつある本来の褐色の短い脚であれば、先が見えないながらも空中で陽気に踊っていただろうに。じたばたするなよ、気を引き締めてジムはじっと横になっていた。なにかの器官(平たいぬるぬるした肉のかたまり)が口の中にあり、厚ぼったくて湿っている――これにはぞっとした、とりわけその器官が勝手に動いて広々とした口腔内をまさぐったり、(恐怖心を抑えて注意を向けたのだが)巨大な歯の上をすべったりしたときには。ジムは上から下まで自分の身体をまじまじと見た。体色は、両肩から足首までは淡い青で、首と手首のまわりには濃い青のふちどりがあり、体節にわかれていない胸部の方にはまっすぐ縦に白いボタンが並んでいる。ときおり胸部をわたって流れてくるそよ風、分解中の食べ物や穀物アルコールの悪くはないにおいを運んでくれるこの風は、自分の呼吸であると納得した。視界が役に立たないくらい――そう、複眼にしては――狭くなっているし、おまけに目に入るすべてのものが耐えがたいほど色鮮やかだ。だんだんわかってきたぞ、奇怪な反転がおこって今や無力な肉が骨格の外側にある、だから骨格がまるで見えないのか。あの心地よい艶【つや】のある褐色をひとめ見られたら、気分が落ちつくのになあ。
※【 】内はルビ

【検討会後の反省点】
出題者の解説によると、1パラ-10文目の oh for a compound eye は「複眼があったらなぁ」が正しいようだ。シェイクスピアには出てくるようなので、今後もこの表現には注目していきたい。
また、1パラ-6文目の an immensity of teeth 「巨大な歯」か「膨大な数の歯」か難しいところだが、「巨大な歯列」と訳された方がいて上手いと思った。

【今回の方針】
Step 1:これまでたびたび話題になっているように英文和訳の真髄は…
(1) 普通に素直に読む
(2) 過不足なく訳す
Step 2:それらに加えて今回発見した英文解釈のポイントとは?
(3) (翻訳とは違って)英文の構造がきっちりと透けて見える訳文にする
※斎藤兆史『英語達人列伝Ⅱ』p. 166, p. 169
※朱牟田夏雄『英文をいかに読むか』p. 13 など
※今回おもに意識するのは、この Step 2 まで
Step 3:翻訳
著者が日本語ネイティブだったらこう書くだろうという、原文が透けて見えない自然な日本語にする
※こちらはほんの少しだけ意識、ここぞというところのみ。

【視点の問題】
この課題文は、基本的には神の視点にある語り手が、三人称で Jim の状況を描写している。ときどき、Jim の視点に入りこんだり、語り手がコメントを挿入したりしている。

【課題文の前後の文脈、背景知識】
間違いなくフランツ・カフカ『変身』のパロディだろう。主人公の名前も、書きだしもそっくりだ。『変身』では人間が昆虫に変身したが、こちらは逆に昆虫(ゴキブリ)が人間に変身したわけだ。

【訳文提出前に考えたこと】
(全体の方針)
(原則1)できるだけ原文の語順を尊重したい。
(原則2)ただし、できるだけ日本語として読みやすくもしたい。コンマ・かっこ・ダッシュにはさまれた挿入が多いため、関係代名詞もふくめて原則1にしたがうのが難しい部分も多い。
(原則3)ピリオドの数は原文どおりにしたい。短文に区切れば読みやすくなるのはたしかだが、あくまでも原文のリズムを尊重したい。

※最後は、カフカ『変身/掟の前で他2編』(古典新訳文庫、丘沢静也訳)の帯や訳者あとがきなどの影響。「翻訳は演奏に似ている。ピリオド奏法は、自分(=演奏家)が慣れ親しんできた流儀を押し通すのではなく、相手(=作曲家)の流儀をまず尊重する」

(1パラ-1文目) That morning, Jim Sams, clever but by no means profound, woke from uneasy dreams to find himself transformed into a gigantic creature.
clever but by no means profound は woke ではなく、 Jim Sams にかかると解釈した。
ここでは clever は悪い意味、profound はよい意味で使われているので、そこをうまく訳し分けたい。 
clever = 
showing intelligence, but not sincere, polite, or serious (Cambridge)
able to use your intelligence to get what you want, especially in a slightly dishonest way (Longman)
 
(woke from) uneasy dreams 文字通りに「いやな感じの夢(から目が覚め)」としたが、より自然な日本語として「うなされて夢(から目が覚め)」などと副詞的に訳すこともできるだろう。

ゴキブリから見れば、人間はたんなる「生き物」ではなくて「(巨大な)化け物」だろう。
creature =
an imaginary animal or person, or one that is very strange and frightening (Longman)
an imaginary living thing that is strange or frightening
The Gorgon was a mythical creature. (Macmillan)

→ その朝、小賢しいけれど深い洞察力には欠けるジム・サムスが、いやな感じの夢から目が覚めて気がつくと、巨大な化け物に変身してしまっていた。

(1パラ-2文目) For a good while he remained on his back (not his favourite posture) and regarded his distant feet, his paucity of limbs, with consternation.
For a good while ある程度「長い」時間であることを訳文で表現したい。
regard = to look carefully at something or someone (Cambridge)

distant feet は「(6本のうちの)後ろ脚」ではなく、「(巨体に変身したため)遠くの足(=遠くに見える足)」と解釈。
paucity は formal な語なので、訳語 も fomal な「欠損」にした。長さが短いのではなく、数が少ないと解釈。
paucity =
the condition of having very little or not enough of something (Cambridge)
less than is needed of something (Longman)

limbs はふつうならば「四肢」でもよいが、この文脈では4や6という数字をだしたくないので「手足」にした。文字通りには「手足の欠損」となるが、自然な日本語にすると「欠損した手足」等になるだろう。
consternation =
a feeling of worry, shock, or confusion (Cambridge)
a feeling of worry, shock, or fear (Longman)

→ ずいぶん長いあいだ(あまり好きではない)仰向けの姿勢のまま、遠くの足欠損した手足愕然と見つめた

(1パラ-3文目) A mere four, of course, and quite unmovable.
Jim の視点から見た無生物主語の文に、語り手のコメントが挿入されていると解釈した。he said や he thought がないので、いわゆる「自由直接話法(思考)」だろうか?
quite unmovable「全く動かない」と「あまり動かない」の2つの解釈がありえるが、少しは動くはずなので後者にとった。
→ たったの4本――当然だ――しかも自由に動かない。

(1パラ-4文目) His own little brown legs, for which he was already feeling some nostalgia, would have been waving merrily in the air, however hopelessly.
仮定法過去完了、主語の His own little brown legs が条件
コンマ+ for which は、訳文でも挿入で処理すべきかどうか、大いに迷ったところ。全体を通じてあまりにも挿入が多いことと、こちらの方が日本語としてより自然なことから判断した。
his own は「彼自身の」というよりは「彼本来の」だろう。今はその脚がないわけなので。

wave は文字通りには「波打つ、揺れる」だろうが、パラパラをイメージして「(空中で)踊る」とした。
※後から気がついたのだが、in the air「空中で」は「宙を、宙で」の方がよかったかも?(多和田葉子訳『変身(かわりみ)』ではそう訳されていた)

however hopelessly はいちばん悩んだところ。
though hopelessly や if hopelessly と似た感じ?
それとも waving hopelessly but merrily みたいな感じ?(自信なし)
ただ、hopelessly はあくまでも副詞なので、would have been waving にかかると考えて、however hopeless it was(いかに状況が絶望的であっても)とは解釈しなかった。

→ すでに郷愁を感じつつある本来の褐色の短い脚であれば、先が見えないながらも空中で陽気に踊っていただろうに。

(1パラ-5文目) He lay still, determined not to panic.
determined not to panic じつは日本語には厳密な意味での間接話法は存在しない。(安西先生の『翻訳の英文法』シリーズより)
このような間接話法は日本語では中間的な話法で(「 」を使わないで直接話法っぽく)訳す方が、小説らしい自然な日本語になる。
(例)慌てないことを決心して → 慌てないぞと心に決めて
訳文は、シブがき隊(NAI・NAI 16)に敬意を表した。

→ じたばたするなよ、気を引き締めてジムはじっと横になっていた。

(1パラ-6文目) An organ, a slab of slippery meat, lay squat and wet in his mouth ― revolting, especially when it moved of its own accord to explore the vast cavern of his mouth and, he noted with muted alarm, slide across an immensity of teeth.

1文が長くて挿入部分の処理が難しい。原文にない( )を2か所に補って、挿入部分は( )の中に入れた。
revolting = extremely unpleasant (Cambridge, Longman)
※文字通りには「(この器官は)極めて不快である」となるが、ここでは Jim がそう感じたわけなので、Jim の視点から「これにはぞっとした」と訳してみた。
of one's own accord = voluntarily (Oxford)

he noted with muted alarm は「(彼は)恐怖心を抑えて注意を向けた」と解釈。
note = 
to notice or pay careful attention to something (Longman)
notice or pay particular attention to something (Oxford)
to notice or observe with care (Merriam-Webster)
alarm [UC] =
sudden worry and fear, especially that something dangerous or unpleasant might happen (Cambridge)
a feeling of fear or worry because something bad or dangerous might happen (Longman)

an immensity of teeth 文字通りには「歯という巨大なもの」などだろうが、自然に訳すなら「巨大な歯」でよいだろう。

→ なにかの器官(平たいぬるぬるした肉のかたまり)が口の中にあり、厚ぼったくて湿っている――これにはぞっとした、とりわけその器官が勝手に動いて広々とした口腔内をまさぐったり、(恐怖心を抑えて注意を向けたのだが巨大な歯の上をすべったりしたときには。

(1パラ-7文目) He stared along the length of his body.
along the length of (his body) は文字通りには「頭のてっぺんからつま先まで」だが、自分の頭は見えないので、「上から下まで」とした。
→ ジムは上から下まで自分の身体をまじまじと見た。

(1パラ-8文目) His colouring, from shoulders to ankles, was a pale blue, with darker blue piping around his neck and wrists, and white buttons in a vertical line right down his unsegmented thorax.
colouring は本来は「着色」だろうが、この文脈では昆虫を意識した「体色」がふさわしいと判断した。
with [darker blue piping] (around his neck and wrists) = with O C
piping [UC] 名詞〔縫製の〕縁取り

down … thorax の down は「下」ではなく、視点(前の文に He stared … とあるので、ここでは Jim の視点)から「遠ざかる」ということ。ここでは「~の方」で表現したつもり。
(『誤訳をしないための翻訳英和辞典』河野 pp. 266-267 より)
his unsegmented thorax はおそらく専門的な用語なので、訳文でも昆虫の用語を意識した。

→ 体色は、両肩から足首までは淡い青で、首と手首のまわりには濃い青のふちどりがあり、体節にわかれていない胸部の方にはまっすぐ縦に白いボタンが並んでいる。

(1パラ-9文目) The light breeze that blew intermittently across it, bearing a not unattractive odour of decomposing food and grain alcohol, he accepted as his breath.
it = his unsegmented thorax

not unattractive 原文が透けて見えるように、「なかなか魅力的な」など肯定的な表現にはせずに「悪くはない」とした。

嗅覚で感じる“におい”のうち、“よいにおい”は“匂い”……“不快なにおい”は“臭い”。 (NHK放送文化研究所)
odour = 
a smell, often one that is unpleasant (Cambridge)
a smell, especially an unpleasant one (Longman)
※ふつうの人間には不快だが、ゴキブリには魅力的ということだろう。
※昆虫は口や鼻ではなく、体表にある気門から呼吸をする。嗅覚は触覚にあるセンサーで感じているようだ。

he accepted (the light breeze …) as his breath = S V O as C と解釈。
accept O as C = to agree to take something, or to consider something as satisfactory, reasonable, or true (Cambridge)

→ ときおり胸部をわたって流れてくるそよ風、分解中の食べ物や穀物アルコールの悪くはないにおいを運んでくれるこの風は、自分の呼吸であると納得した

(1パラ-10文目) His vision was unhelpfully narrowed ― oh for a compound eye ― and everything he saw was oppressively colourful.
3文目と同様に、Jim の視点から見た無生物主語の文に、語り手のコメントが挿入されている。
vision 視界
※昆虫の複眼は人間の目(単眼)と比べると視界が広く、色の認識は得意ではないようだ。

oh はじめ安易に「おお」としていたが、違和感がぬぐえなかった。翻訳辞典で「(Oh! Ah! を機械的におお!ああ!と訳すのは)かりにも翻訳を手掛ける者として恥ずかしい」という記述を見て再考、結局「そう」とした。
(『誤訳をしないための翻訳英和辞典』河野 pp. 187-188 より)
for … = ~にしては、~のわりには
a compound eye =(昆虫の)複眼
oppressively = in a way that makes people feel worried or uncomfortable (Cambridge)
colourful = having bright colours or a lot of different colours (Cambridge, Longman)

→ 視界が役に立たないくらい――そう、複眼にしては――狭くなっているし、おまけに目に入るすべてのものが耐えがたいほど色鮮やかだ。

(1パラ-11文目) He was beginning to understand that by a grotesque reversal his vulnerable flesh now lay outside his skeleton, which was therefore wholly invisible to him.
過去時制で使われる now(『英語教育3月号』(3)ページ、オンラインフェス課題の解説にあり)。筒井先生による試訳では、now の出てくる文は一人称視点の現在形で訳されていた。
それと同様に、この課題文でも小説の語り手ではなく、主人公 Jim の視点から見た now ということ。筒井先生にならって、この文と次の文は小説らしく、直接話法っぽい訳にした。
which の先行詞は his skeleton
※ゴキブリのような昆虫は外骨格(骨格が外側、筋肉がその内側にある)、人間は内骨格(骨格が内側、筋肉がその外側にある)。

→ だんだんわかってきたぞ、奇怪な反転がおこって今や無力な肉が骨格の外側にある、だから骨格がまるで見えないのか。

(1パラ-12文目) What a comfort it would have been to catch a glimpse of that homely nacreous brown.
仮定法過去完了、to catch a glimpse of … が条件
homely =
plain or ordinary, but pleasant (Cambridge)
simple in a way that makes you feel comfortable (Longman)
→ あの心地よい艶【つや】のある褐色をひとめ見られたら、気分が落ちつくのになあ。

【参考資料】


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