越川詩織さんインタビュー「これから役者ができること②」
第一弾の越川大介さんのインタビューに引き続き、第二弾では1995年に設立され、国内外で独自のスタイルである「スタイリッシュ・コメディー」を軸に活躍する劇団「D.K HOLLYWOOD」の団員であり、プロジェクト「COMESY」の主宰、そして越川大介さんの娘でもある越川詩織さんのインタビューをお届けする。
――まずは、劇団設立25周年おめでとうございます。
越川詩織(以下越川) ありがとうございます。
――自粛期間中はリモートで劇団の会議をされていましたが、他はどうやって過ごされていましたか?
越川 うーん……起きて、ご飯食べて、ご飯食べて、ご飯食べて、寝る、みたいな(笑)
――「とにかく家にいる」という感じですね。
越川 そうですね。うちの家族は選んで「もう家にいよう」って決めたんですよ。だったので、ほぼ家族で過ごしてました。
――ご家族皆さん演劇関係ということなので、自粛期間中だから出来たこと、家族で話したことはありますか?
越川 そうですね、私なんかはお芝居とか表現の方ではとても若手の方だと思うんですけども、だから色々周りもリモート演劇とか新しい試みをしている人の活動もいっぱい入ってきた期間でした。
でも、父や母なんかはやっぱり現場で仕事を長くしてきている人間で、元々インターネットもそんなに活用する方でもなかったので、今何が世の中で起こってて、皆が何をしてるかっていうことも、そんなに情報としては新しく入ってはきてなかったのかなっていう。なので、「これからどんなことが出来るかな」っていうよりは、もう本当に現状を嘆き悲しんでいるというか、これからどうなるんだろうという方が大きかったですね。それで単純に、「じゃあ新しくこういう表現方法でやっていこう」という風に、父や母の代ではなかなかそう切り替われるもんじゃないんだなっていうのは、ちょっと見ていて思いましたね。
――越川さん自身はどうですか?
越川 私自身は全然前向きというか、うーん、気持ちも分かるし、やっぱり生で観て欲しいっていうのは一番ではあるんですけど、逆に今まで演劇が生でやって来たから弱かった部分もたくさんあったなぁって思ったんですよ。同じ時間に、同じ場所にたくさんの人が集まらないと見せられないっていうのは、やっぱドラマや映画にはどうしても勝てない部分じゃないですか。例えば私なんかだったら、おばあちゃんが鳥取や高知にいて、その鳥取や高知のおばあちゃんたちにも今見せたいっていうときに、演劇はやっぱ来てもらわないと見せられないっていう悔しさがあったのが、こういう機会だからこそ考え方とか、形を変えたら、より色んな人に同時に観てもらえるようなコンテンツを作れるだろうなと、私自身は思いましたね。
――越川さんの演じる役はどれもチャーミングで愛すべきキャラになっていてとても好きなのですが、お芝居をするときにこうしよう、こうしたい、と思っていることはありますか?
越川 えー!ありがとうございます。最初はやっぱりお客様にすごい好かれたいなって始めた頃は思ってやってたんですけど、多分「HYSTERIC FELLOWS」(※1)とかぐらいから、もうどう思われてもいいやって思えるように、最近やっとなってこれたので、それが最近自分の中で結構肌で、お客さんのリアクションとかも感じる違いはそこな気がしますね。最近はお客さんの目を逆にあんまり気にしないようにしてます。
――反応は見るけど、それもひとつ、というような。
越川 そうですね。
※1:2018年7月にシアターサンモールで上演されたD.K HOLLYWOODの作品。その中で越川詩織は、伝説のディスコ「Paradise Garage」で生まれ育ったという快活な少女「ハーレイ・ダビットソン」を演じた。(D.K HOLLYWOOD公式及び越川詩織さん本人からお写真をお借りした)
――「HYSTERIC FELLOWS」の時の、金髪でバットをぶん回している姿が印象に残っていますが、あの頃からふっきれ始めたということですね。
越川 ハーレイですね。だってあの時も30(歳)とかで、あんなホットパンツ履いて、もう人の目を気にしてられないですよね(笑)
――素敵でした。
越川 ありがとうございます。
――そして、自粛期間が終わっていきますけど、暗いムードの世の中に、お芝居を通じてとか、役者さんとして、創る人として、これから発信していきたいこと、やりたいことはありますか?先程も新しい演劇の見せ方の話が出ていましたが。
越川 私自身はそんな機械とかも得意じゃないので、そういった新しい媒体とかは、やっぱり先駆者の人たちのやり方をきっと勉強しながらになっていくと思うんですけど、父や母とか、そういう大先輩たちと接する機会がある中で感じたのは、そういう前向きな人たち、新しいものをやろうっていう人たちは素晴らしいと思うし、ただ今回の一件ですごく絶望した人って、この業種に限らずやっぱりいたと思うんですよ。演劇とかそういう作品作りのひとつ大事なところは、色んな物を描いていくっていったときに、前向きなものも創っていかなきゃいけないし、でも今回のこのことですごく絶望したり、時代に取り残されたような気持ちになった人たちっていうのも、今後知ってる人が書いていってあげたいなって、いうか、創れたらなと思ってます。
――最後に、記念公演「シェルター25」(※2)も延期になってしまいましたが、このコロナを経ての25周年イヤーへの意気込みを聞かせてください。
越川 もう文句は何も言わないんで、芝居させてくれっていうとこですね(笑)
――出来るときには全力で芝居をするぞ!というところですね。
越川 はい!そうですね。
※2:D.K HOLLYWOODの25周年公演として上演が予定されていた作品。ニューヨーク・マンハッタンを舞台に、2020年6月10日~21日まで、新宿三丁目の「雑遊・SPACE梟門」で公演される予定であった。
我々演劇ファンが「とにかく芝居が観たい!」と思っているのと同様に、役者側も「とにかく芝居がしたい!」と思っていた。ということは、今後公演が再開された際には、両者の「観たい」「演じたい」という想いが化学反応を起こして、とんでもなく熱い公演になるのではないかと、少しわくわくしてしまった。
そして、コロナによって転ばされてもタダでは起きないぞという精神で、新しい演劇の形を模索しているというところにも、「コロナ後」の世界の演劇に期待を持つことが出来た。
第一弾の越川大介さんのインタビューでは、コロナ後も不変の舞台を創り続けていくという覚悟が、今回の越川詩織さんのインタビューでは、コロナを経て演劇をさらに良きものに高めていこうという決意が、それぞれ感じられた。
そんな2人のいるD.K HOLLYWOODは、これからも不変の「スタイリッシュ・コメディー」を貫きながらも、何か新しい形で我々を楽しませてくれるに違いない。
そう思うと、コロナによってもたらされたものは、必ずしも悪いものばかりではなかったのではないかと思わされる。
これからのD.K HOLLYWOOD、そして演劇界から、目が離せない。
越川詩織(こしかわ しおり)
1987年 東京都出身。父はD.K HOLLYWOODの主宰 越川大介、母は声優の島本須美。2010年より、D.K H STUDIOにて演技の勉強を開始。同年10月新国立劇場で上演された「HURLY BURLY」で舞台デビュー。以降D.K HOLLYWOOD作品に出演し続け、チャーミングで魅力的な芝居で観客を魅了する。
「それいけ!アンパンマン」「蟲師 続章」「マジック・ザ・ギャザリング」短編等、声優としても活躍。
脚本の執筆にも取り組み、2015年「贋作 桜の園」が、第27回池袋演劇祭で入賞した。
自身で立ち上げたプロジェクト「COMESY」にて脚本・演出を担当しながら、プロデュース公演を行なっている。
★ D.K HOLLYWOOD公式HP:http://www.dkhollywood.com/
★ D.K.H STUDIO公式HP:http://www.dkhollywood.com/studio/
★ COMESY公式HP:https://comesy.jimdofree.com/
(文・写真・インタビュー:あいあいこ)