ことごとく生きるのがヘタクソな私の人生
だいたい人生のうち、過去の話は美化されがち。例えば小さい頃の恥ずかしい話や失敗談などは後から美談として話されがち。
だけど私の人生は全く違う。
私は三人姉妹の次女に生まれた。姉は親戚中の第一子でとても可愛がられた。弟は長男として可愛がられた。そして2人とも小さな頃から背が高く、可愛らしい顔立ちだったため、「知らない人からも可愛がられたのよ」と何度も聞かされた。
一方私が生まれた時、祖母は「お姉ちゃんの方が可愛かったわね」と言ったそうだ。さらにこの話も小さい頃の懐かしい話、として聞かされた。
そして私はなぜかいつまでもふっくらしていて背が伸びなかった。初めて会う親戚や、その友人から私へのコメントはいつも"みんな"に含まれていただけで、個別でのコメントはいつも避けられた。それを幼いながらにも悔しく思っていたのをとても覚えている。
それだけではない。
学校に入れば姉や弟はクラスの中心的存在で、友達が多く男女問わず慕われた。私はというと、ことごとく仲良しグループからは除け者扱いを受け、パシリのような存在で男子からは机を倒されたり、一日中悪口を浴びせ回られたりと不登校生活を味わった。
それでも家族はいつも私を愛してくれて、弟や姉の友達は私と仲良くしてくれた。
中学校に上がっても環境は変わらなかった。仲が良かった人は敵にも味方にもなり、コロコロ私の人生を振り回した。
唯一部活の成績が良く、入った時からスタメンで試合に出続けていたので、その時だけはすごく慕われた。
この頃から私は私自身と、世の中の不条理さを恨み始めた。あとは部活と勉強さえ頑張れば塾の先生からは褒めてもらえるし、友達も都合よく寄ってきたので、休み時間は図書館で天声人語を書き写して要約し、タイトルをつけるノートを毎日いくつもやった。
楽しいことや悲しいことは日々数えきれないくらい訪れた。それにつれて感情の起伏もとても激しかった。
高校では私立の賢いクラスに入った。勉強を頑張る中で、賢い人は無駄なことに時間を割かないときづいたからである。その予想は当たった。そのため高校時代は比較的楽しく過ごすことができた。
しかし高校三年の夏、突然父が亡くなった。
やっと楽しくなってきた私の人生はまた足を挫いた。
小学校高学年と中学三年間ほとんど友達と出かけることのなかった私を、ご飯に連れて行ってくれたりテーマパークへ連れ出してくれたのは父だった。今思うと父は休みという休みがほとんどないまま家族サービスや勉強、スポーツに仕事を毎日忙しそうにこなしていた。
私にとって父は本当に背中を追いかけるヒーローだった。
今私は大学四回生になった。部活動やアルバイトはとても充実していて、父が死んだ後も時間はどんどん進んでいった。
ずっと今まで死にたかった。
父が死んだ後もなぜ私が死ねなかったのかと何度も考えた。
だけど私のことごとくヘタクソな人生も捨てたもんじゃなかった。
少ししかなかった父との日々を、私は兄弟の中で1番長く過ごすことができたし、1番近くで父の話を聞いて、1番父の考えを汲み取った。
それは私がこの社会で生きづらく、ヘタクソな人間だったからこそ理解できる父の良さと父のすごさだと思った。馴染めなかった同級生達には感謝さえしている。
そして私は今人生を精一杯全力で生きている。
私の頭の中の父はいつまでもヒーローのままである。これはきっと幸せなことだと思う。長く生きるのが人生じゃない。
17歳までに話したことで、父が本当にどんなことを考えていて、どんな風に生きていたかは母に聞いても祖母に聞いても本当のことはわからないけど、家族で1番父に手をかけてもらったのは多分私だった。もちろん嫌いなところやダメなところもあったけど父はとても正しいことに厳しい人だったから、自分自身もその十字架を背負っていたに違いないと思った。
だから私も人に言えないことはしない。
必ず胸を張って言える人生にしたい。
いつか私が51歳で死ぬことになっても、私の子にはたくさんの愛情を注いであげたい。その後の倍以上の人生を自由に生きて欲しい。
だからそのために私はずっと生き急いでいたい。
そして1人でも多くの人に大切な人との時間を大切にしてほしい。