『中略』#159

本の抜き書きをEvernoteに溜めていて頻繁に使う単語。
前略も後略も単語としてはあるけれど抜き書きには使わない。
段落アタマの一文から、具体例や補足を経て、「つまり」と語気が強められるまとまりを、要点だけかいつまんで抽象部分を抜いておく。
「具体例ごと抜き書きしておいた方が正確に、あるいはわかりやすく、残しておけるのではないか」と思って全て抜いていた頃もあったし、必要性が感じられたり秀逸な具体例だったりすれば今でも抜く。けれど抜き書きを何のためにするか、っていうと1つには書籍の要点をまとめて再読可能にするためって理由があって、もう1つに、自分の考え事や日常の発見に紐づいた発酵・飛び火・化学反応を起こすためには具体例が制約を与えてしまってはよくないので抽象的な“著者の思考”を、やわらかな理論として取り出しておくため、そんな理由がある。つい先日読み終わった鷲田清一さんの『ちぐはぐな身体』ではコム・デ・ギャルソンやヨウジヤマモトの衣服やシーズン毎のショーやコンセプトを引き合いに出して論じていたので抜き書きは長くて、そして視覚的に創造のつくよう具体例ごと抜いた箇所が少なくないけれどやはり主張が「ギャルソンありき」や「ヨウジありき」になってしまってはこちらとしても勿体ないので例えば建築に紐づけられたりあるいは料理に例えられたりすれば自分の考え事としても取り入れられるということで「中略」を入れたものが多い。もちろん、略のないひと文、名言的な一文を抜くことは多いしそれが一番多い。
28歳になってから、他人に生涯を説明するとき、自己紹介とか、何かしらの期間を省略しないと会話の空気がぎゅうーんっと間延びしてしまうことになっていたたまれなくなるのでだいたい大学時代が短縮される。大学では建築を勉強しました、その後は規模の小さな設計事務所に勤めまして、という感じで、ぽーんと高校時代から社会人時代へと飛ぶ。大学生時代は院時代もあるので6年と長いけれど、話すと項目が多すぎる、ということもあるので中抜きしてしまう。相手とのあいだで何かしらの話題が掴めそうならば、取り出す、という感じで略しておく。
人生のモットーというか、理想として私は「走馬灯が流れすぎて死ねない」そんな人生をと思っている。その走馬灯は、名場面集なのかそれとも深層体験の発露なのか、どんな仕組みなのだろうかと思う。映画アルマゲドンで登場人物の走馬灯が流れるシーンがあるが、そんな感じなのか、どんなものなのだろう。あのシーンで私は泣く。
泣ける中略部分がきっとあるだろうと思っていて、私の走馬灯でも是非とも流れてくれと願う。

#中略 #180526

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