『二桁』#10
こうしてノートを書き連ねてきて、通し番号が10を超えた。投稿のタイミングは遅さ早さあって定時投稿はできていないものの、一日千文字ぐらいのノートを、というルールでは続けられている。22-23日にかけては友達との旅行で、どうしようかと思って最終的には書き溜めをして毎日投稿を、と思ったのに初日朝の電車内と2日目帰りの電車内で両日書いた。『ギザジュウ』#8と『走る』#9。
自分の年齢が二桁になったときのことは悲しくも覚えていない。小学四年生だったはず、低い身長も相変わらずで成長期を感ずることなく背の順では2、3番目を彷徨い、たぶん休み時間にはドッチボールをしているとか、土日には少年野球で砂まみれになるとか、状況を想像することは出来るけど何某かの思い出を、思い出すことはできない。小学校時分で覚えている「思い出」とも言うような時間(状況や属性とは違う、経験した時間)は多くない。1年生の担任の先生は各月に一回ホームルームで、誕生日(月)の子を肩車して机の間を縫うように教室を一周してお祝いをした。気恥ずかしくてこそばゆいけど、誕生日をお祝いされる嬉しい気持ちを感じられたことは、今思い返して大事なことなんだとわかる。2年生のときの先生は若い男の(たしかそのとき27歳と言ってたような)ひとで、器械体操が得意で、体育の時間に見せてくれたバク転とバック宙がすごくかっこよかったのを覚えている。3、4年生の思い出は本当にさっぱりで、何をしていたんだろうかと軽く不安にもなる。5年生と6年生の記憶は混同していて、というのも担任の先生が隣のクラス共に2年間一緒だった。記憶に紐付くのは担任の先生なんだなぁといまハッとした。友達と「モーリス・グリーンがすごい」と100m走の選手の話をしていたり、「今日の金曜ロードショーは」って夜のテレビの話をしていたり、ゆびすま(呼び方は各地方で諸説ありますね)などなどの指遊びが盛んになったのもこの頃だったろうか。バッチリ思い出せる記憶といえば少年野球チームでのこと、監督の名前が「一郎」だったことと、ペプシコーラのCMでイチローをフィーチャーしたCMソングがあったことで、替え歌ができたこと(そして、曲のリズムと韻がとてもよかった。今でも覚えている)。替え歌を作ったキャッチャーの彼が1試合で3ホームランを放ったこともあった。あれは凄すぎた。
こう、ノートの番号が二桁に乗ったことから小学生の頃の思い出を振り返ってみたけど、ハッキリ思い出せるものがなくてなかなか難しい。改めて数えるまでもなく4つ。もう少しあると思うんだけど、紙幅(時間)の都合でここで終わる。ちなみに、ノートの記事数で言うとこちら、11番目。