『もみじまんじゅう』#292

秋ですね。山の紅葉のニュースが舞い込みはじめる。路線バスの旅とかいい旅とか夢気分とか、紅葉シーズンの行楽地に行って「わぁ〜」って声を上げて、こちらボリュームを下げて、おだやかな気持ちで「あぁ秋だな」と思う昼日中。到来するものは秋。黄色く色づきはじめる街中のイチョウ、赤く染まりつつある山中のイチョウ、そしてモミジ。
広島のもみじまんじゅうは果たして、バカには見えない黄色とか赤色とかそういう季節柄を出しているのかね、実は。春は緑で夏には緑色が濃くなり、秋口に差し掛かると黄色く、そして赤く、色を次第に変えていく。色を変え尽くした葉は、枝から離れて地面に落ちる。落ちたモミジを人が狩る。紅葉狩り。散って落ちて茶色く変わったモミジが、次第に丸みを帯びて膨らんで、しっとりもちもちとした触感に仕上がってきたら中に、あんこを充填してやる。枯れた葉の触感はもうない。それはもう、もみじまんじゅうに成ったのである。
モミジが収穫される最盛期には売り上げも好調となる。そのため狩人同士の争いも絶えない。老舗と呼ばれる店舗では近年の社会全体の問題、高齢化問題は顕著に陰を落とす。ベテランの狩人たちも身体が動かなくなり、自身のテリトリーとする狩場も範囲が狭まってくる。できるだけ近場で狩りをしようとすれば必然的に人里、街のまわりとなるため別の狩人たちとテリトリーが重なってしまう。逆に、足を伸ばせなくなった遠方の狩場からは、おらが場所としていた人たちが去って手付かずの場所が広がる。するとそこではモミジが収穫を待たずに丸みを帯びて膨らみはじめてあら大変。枯れ草によってカサカサと、歩くと音がしていたはずの地面がいつのまにか、むにむにふわふわ、キッズパークのスポンジで埋め尽くされたゾーンのように足を取られて前に行くにも足を抜くにも重たいことに。そうなる前に、モミジを収穫して手元でまんじゅうとして育てるのが一番。
広島の山中はいま、どうなっているだろう。

#もみじまんじゅう #181006

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?