『かける』#215
書くことができる、その書けるではなく、何かを失った状態である、その欠けるでもなく、しょうゆをかける、カバンを肩にかける、迷惑をかける、などの、一言にいい尽くしがたい用法のとにかく「上から何か乗っかる感じ」端を端をつなぐ・渡す」の“かける”。
この、戸惑いを帯びる“かける”の多義性は、英語を習ううち知った“take”でも共通する。どんだけ意味たくさんあんだ、と。目的語次第で、意味が変わる。先の一文で読点を挟んでしまったのには、「意味」で正しいのかわからなくなってしまい。「意味」というよりは、「意味する状態・光景」のこと。take a photoで写真を撮る。take care of で面倒を見る・世話をする。take a showerでシャワーを浴びる。先の二つは「(何かしらの道具や人を)扱う」ことかなーと思えて、しかし三つ目で「浴びる」ってなんやねん、となるけどおおよそはシャワーを扱うことだろうと想定できなくもないがとにかく使用可能範囲が大きい。だから中学生の当時は「なんでも英会話で困ったらdoかtake使っとけばいいんじゃないか」とかざっくりしたことを思っていた。そんな、汎用性が高いtakeと同じような認識をもつのが「かける」。日本語を母語として使っている以上、大きく戸惑うことはない。ただ、日本語を母語としない人と日本語で「かける」を会話中におりまぜる時の悩ましさみたいなものがある。眼鏡をかける。電話をかける。時間をかける。何にでも使うし、共通項の「上から乗っかる感じ」と「端と端をつなぐ・渡す」とのイデアみたいな核になるイメージみたいなものを共有しながらでしか、共有しないことには会話ができない。どうにも。こうして書いても、まだ捉えきれていない。しょうゆと鞄とメガネに関しては「上から乗っかる」で足りるし、電話についてはこちらとあちらの端末を回線で「端と端をつなぐ」ということができる。けれど、迷惑と時間はまた違う。迷惑も、相手に迷惑を乗っけると考えればそれで意味が足りるような気はするけれど、時間、それに命なんかは、漢字が違うんだな、懸ける的な、負担するとか費やすとか「あるものとあるものとの交換に引き換える」みたいな意味合い・イデアもあるのだろう。しばしば軽々しくイデアって言ってしまっているけれど、動詞に関して「イデア」って微妙に使いづらい。意味の深層とか本質とか言いたくなる。
かけるの本質。ひとつに定まらない、見つけ出せない、纏められないことの悔しさが少し残る。複雑、ってこういうことだ。