『足す』#252
加減乗除の初手、足し算。
1つ前に251番で「割る」ことについて書いた。過去には、102番で「引く」を書いて、215番で「かける」を書いていた。せっかく加減乗除で4発連続で書こうと思ったのに、自分の過去の気ままさに振り回されて戦略性のなさに軽くうんざりする。「かける」について書いたときには、まったく掛け算について触れておらず、だからって改めて「掛ける」を書くわけにもいかず、関連性というか、伏線を偽装することも叶わず、やれやれと他人事のように肩をすくめてみる。
幸か不幸か、残っていたのが末の割ることと、初手の足すことだったので、格好をつけられはする。このフォローも特に掛け算的な相乗効果もなくただ足し算的な蛇足のようなもので上手くもないですね。
よく使われる喩えでは、ある物体とある物体を合わせたときの、化学変化のあるなしで、足し算と掛け算とが比喩にされ、比喩の比喩で、クリエイティブだとかイノベーションだとかが「1+1でも、無限の可能性」と言われたりなんだり。水に食塩を溶かして、食塩水。鉄と砂を混ぜて、さらさらした鉄と砂の粒々、混合物、足し算。石灰水に二酸化炭素を吹き込んで白濁する反応、Ca(OH)2+CO2→CaCO3+H2O、化合物、掛け算(式は足し算じゃねぇかって言いたくなるね、言いたくなるけど、人と人が出会って創発するイノベーションとかクリエイションって、あくまで式は足し算ですよね、どんな化合物が生まれるかってだけの話で)。
そう、カッコのなかでわりと大事なイメージを書いた。あくまで、左辺は1+1(というか、ある数足すある数)なのですよね。
相乗効果って言葉との相性があまり良くない。
大局的に見て、同じ足し算でも、結果が大きく異なる足し算もある。
肉を焼くときに塩をふる。そのとき、食卓塩を使うか、違う種類の食塩をふるか、どちらにしても99%は塩化ナトリウムであるにも関わらず、味が変わる。食べてわかる(どっちがどっちかをわかるかって、きき塩化ナトリウムが出来るかは別問題)くらいに、結果が変わる。99%起きていることは、肉+塩化ナトリウムの足し算でありながら、もう1%ほどのところで、さまざまな成分の、グルタミン酸とか炭酸マグネシウムとかカリウムとか、とにかく塩の種類によって違うあるこれによって肉と足し算される物質が違って、総体として「肉+塩」に対する「→おいしい」の結果が変わるわけだ。さらに、食卓塩を使うにしても、入れ物からパッパッとかけるか、指でつまんで体温を少し加えて揉みながらふりかけるかによっても、変わる。
単純な、数学的足し算、抽象度を高めた足し算では変わらない結果を、具体性・個別性を高めてみれば総体に差異をもたらす、足し算の微分積分のような、次元を行き来して見ること、そこに私は夢を見る。
「違いのわかる男」は足し算に強い。鳥の素揚げを丸かじりして塩加減に思いを馳せながらそんなことをまた思う。
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