『割る』#251
ジョッキから。
アルコールを提供して、各席が盛り上がる飲食店で働いていると、少なからずクラッシュが、割れ物が発生する。多くはお冷のグラスやカクテル用のゾンビグラス(細身の背高で円柱形のやつ)が、引っ掛けやすいようで割れる。テーブルの上でカタンと横倒しになって、口がかけたり、割れたりする。まぁ、かわいいものだ。いっぽうでときどきジョッキが割れるそのときは、まぁかわいくない。テーブル状で倒してもジョッキはわりあい丈夫で割れることはまず無い。ジョッキが割れる場合ってのはだいたい、テーブルより下、床に落とした場合。いや勢い込んで乾杯の衝撃で割られることも無くはないがその乾杯のために丈夫に作られていると言ってもそれは言い過ぎではなく、レアケースだ。
床に落ちて割れたジョッキは、大きな塊を散らばし、まるで氷塊を砕いて割ったようななかなか造形的な姿を見せることもある。取っ手だけがとれた様はとてもエモーショナルな感慨を呼ぶことも。
あるものとあるものがくっついて1つになっているものが、何かの拍子に2つや3つ、複数に分かれる。そこに衝撃性があるとき、分かれる、でなく割れる、という言葉が使われる。
Atelier HOKOというアーティストユニットが(シンガポールだったか)いて、彼と彼女が作る冊子「Seience of the Secondary」、“取るに足らない科学”と邦訳されるもので卵を特集したものがある。それを読みながら、卵の脆さについて軽妙に書かれた文と絵からふと気になって思い巡らせたことがあって、「卵は脆いから、割れることに注意を払われる。卵が割れる、卵を割る、ってのは殻のついた原型に対して衝撃を与えて「割る」ことを言うけれど、ゆで卵で殻を剥いた後の柔らかいあの状態で、2人で半分こするために指を入れてパカっと分けるときには、そう、割ると言うより「分ける」と言うなぁ」と、衝撃の有無で言葉を使い分けているもんなんだなぁ我々は、とまた感慨にふけることがあった。でも今さっきカギカッコの中を書きながら「ゆで卵を割って分ける」と言ってもおかしくはないよな、と気付いちゃったので衝撃は言葉の意味に不可欠でもないかと、発言の不完全さに気づいた。
小学生時分に、足し算、引き算、掛け算を学んだ後に、後々「加減乗除」と呼ばれる四法の最後、割り算を学ぶわけだがそこにいったいどんな衝撃があるのよ、と問いただしてみればやはり、柔らかくても滑らかでも、割ると言っていることあり、分割という熟語もあるわけだから分かちがたい「分ける」と「割る」の関係があると知るわけ。