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若き見知らぬ者たち
公開から20日。
たくさんたくさんたくさんたくさんたくさん
たくさん悔しかった。
今これを書いてても、また泣きそうなくらいには
ずっと悔しい。
そんな悔しさに抗うことすら、わたしは躊躇する人間です。
映画に携わる仕事をしている訳でもないし、言葉を生業にしている訳でもないので、
決してむずかしいことは書けません。
でも自分の気持ちだけは伝えたくて、残したくて
今これを書いています。自分のために書いています。
映画をまだ見てない方や、自分の気持ちを整理できていない方はこの先へ指を進めることをやめていただきたいです。
もし映画館で体験をした後にまだこの場所を覚えていたら、
ここに戻ってきてくれたら嬉しいです。
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とはいえ、映画の内容よりも
映画を見た後にわたしが思ったこと・考えたことを中心に書きます。
捉え方によっては内容に関係ないことも多いと思います。ご容赦ください。
血は水よりも濃し、であります。
何よりも濃い運命。
誰に何を言われても、自分がどう思ってても、
変えられない何かがある。
近いのに遠い。遠いのに近い。
家族に良い思いも悪い思いも、恨むも喜ぶも人それぞれだと思うので
あまり深くは掘りたくはない。のですが、身の上話を少しだけ。
わたしは「父親に似た娘は幸せになれる」という言葉を信じてここまで生きてきました。
ずっと大切に抱きしめてもらってきた両親を
今度はわたしが抱きしめたいと思っています。
2人より早くこの世を去ることだけは、絶対に避けなければならない。
彩人の命日が【9月4日】なのだとしたら、それこそが最も清くイタズラな運命なのかもしれません。
彩人に向けられた視線を見ている人が、覚えている人が
どれだけいるんだろう。
特記すべきは、道の真ん中でクラクションを鳴らした車の運転手でも、酔っ払い三人衆でも、警官(松浦・瀬戸)でもなくて、
花屋の店員さんと、病院帰りの薬局の店員さん。
言葉でなくとも、あぁいう目で見られる度に何かが削がれる、砕けていく気持ちになります。
自分の中のプチプチを一つずつ丁寧に強く、押し潰されていく感覚。
こういう一つひとつで、心は死んでいくんだと思います。
罪に問えない暴力・殺人はどこまで増えるのでしょうか。
だけど、それでも死ねないのが人間で、
生きたいと思ってしまう、どこまでいっても諦めが悪い。
ポックリ死ねたらどんなに楽か(………………佐々木)
生きたいと思う気持ちの結果、彩人は殺されました。
わたしの使う言葉が、行動が、誰かに拳銃を突きつけることになる可能性があること。
でも、言葉にするまでもない思いを目を通して当ててしまうこと、何も行動しないこと
それこそがいちばんの暴力なのだとも思う。
されて嫌なことはしない、ただそれだけなのにねー。
作中の彩人の人生はたった4日間なのです(去る時間によっては3日間)。【追記】5?6?花火で流れてるカラオケ画面の日付がどう考えてもおかしい瞬間があって混乱した、わたしは映画を見ながらマインドマップを繰り広げるから結局計算できない
一週間にも満たない、たったの4【?】日間。
彩人はとっくに福祉関係には相談していて
貶しの目を向けられたり、針の言葉を突きつけられたりして、
誰かに何かを頼るのをとっくに諦めたのかなぁ、とか。
壮平、戦うことをやめようとした瞬間もあっただろうな。
そんな時彩人が言葉をかけたんだろうな、とか。
日向と彩人、いつから付き合ってるんだろう。
お母さんがあぁなる前からだとしたら、
日向が看護師を選んだ理由としては重すぎるなぁ、とか。
日向の過食はいつからだろう、とか。
マネージャー(由梨)は彩人のこと好きだったんだろうなぁ、とか。
治虫はどうして警官になったんだろう、とか。
松浦はきっともう辞職が決まってしまっていて、だからこその最後の顔なのかなぁ、とか。
瀬戸はこれからもあの渦中で生きていくんだろうなぁ、
亮介・松浦の背中を追う形にならないといいなぁ、とか。
お父さん、本当に自死なのかなぁ、とか。
お母さん、病気になる前から絵を描いていたのかなぁ、とか。
(内山拓也監督作品では"絵描き"に意味がありそうなので)
上記すべてにおいて、わたしの想像の範囲を超えません。
脚本の中で設定上決めていたこともたくさんあるだろうけれど
それが合っているかどうか、確かめたいとは思いません。
好きな人に「あなた、わたしのこと好きですか?」と確認するのと同義です。
視えているものがすべてじゃない。
魅せたいものを視せるわけでもない。
知りたいことがすべて視えることはきっとない。
与えられた情報だけで、もしくは散らばっている情報を得ようとせずに
自分の中で断定して「そうではない!」と決めつけてしまうのが哀しいです。
そう思い込んでそこで止まってしまうのが悔しいです。
視えているものだけで何かを決定し、それが白か黒か判断している
考えるのをやめてしまっている人があまりにも多いと、感じています。
でもそれはきっとわたしも同じだから、考えることをやめたくない。
真実はいつも一つ!だけど、事実は人の数だけあると思います。
その事実を拾える人間でありたいです。
切り取られた彩人の、みんなの、どこかの誰かの"時間"と"心"を
想像することくらいでしか、手を伸ばせない。
優しくはないかもしれないけれど、わたしからは届かないのが現実。
だって、知らない人なのだから。
【ー完ー】のおしりをつけられる物事など、そう多くはない気がしていて
ましてや、他人からおしりをつけるものでは絶対にないし
だからこそ、対人では"想像"が必須だし
それは映画においても同じだと思う。
事実は小説よりも奇なり
ありえない、なんてありえないのだと思います。
わたしの生活も誰かにとってはきっとありえないものだと思うし、
わたしが想像する範囲での誰かなど、この世界のごく一部に過ぎない。
この映画は「知らない人をわたしは知らないのだ」という事を知ってほしいのだと思っています。
壮平がベルトを持って花火へ向かう途中で酔っ払い三人衆とすれ違うように、
(⬆️この映画の中で最も恐ろしいシーン)
思っているよりも世界はとてもとても狭くて、
知らなくていいことも多い。
わたしはもう、この映画を見る前のわたしには戻れない。
自分の範囲を守るためには、もしかしたら知らなくていいことの方が多いのかもしれない。
でもやっぱり知らないことを知らずに終わるのが寂しい時もあるので
「知る」ということにわたしが責任を負える人を大切にしていきたい。
いつから映画に正解を求める人が増えたんだろう。
誰かの感想に乗っかる人も、そう言われたからそう見えてそう思ったという人も、
どうして人と同じが"正"だと思うのだろう。
多いものが、多数派が"正"だと感じる人が多いのだろう。
テンプレのような言葉ばかりが充満している、
型にはまっていないとダメだと思ってしまう、
今の日本の風潮に、気持ち悪いという思いがさらに加速しました。
それはきっとその渦中にいれば感じない気持ちで、
一方わたしは蚊帳の外で声も出せずじっと、悔しさを溜めるだけです。
悲しい哉どちらも解決の糸口すら見えずこれを投げ捨てます。
「日本はいつからこんなに地獄が似合う国になってしまったんだ」
Filmarksで見つけたレビューです。勝手に引用してすみません。
この言葉がわたしの中からずっと、ずっと抜けません。
ここはもう地獄なの?
みんな天国みたいな顔してるだけ?
もしかして、わたしが気づいてないだけなの?
埋められない孤独をみんながそれぞれに持って生きてる。
それでも、【わたしはここにいるよ】と
近い人たちには伝えられる生き方をしたい。
そういう表情が出せる生き方をしてきたつもりだし、これからもそう。
たとえここが地獄だったとしても、声を通して言葉を届けられなくても
あなたのこと見てるよ!って伝わるように
届く"何か"を持ち合わせて生きていたい。
言葉を介さずとも"何か"が通じ合う、あの瞬間をずっと大切にしていきたいし、
わたしが感じたその気持ちを、あなたも同じように持っててくれる、と
信じたい。
この映画を見て「信じることで自分を奮い立たせる」ということができるようになったよ!成長!!!
この世はあまりにも「話が通じない」ことが多すぎる。
これは、直訳でもあり意訳でもあります。
わたしの悔しさのタネはすべてここに集結します。
若きの外でこのタネから生えた悔しさを、勝手にたくさん抱きました。
「話が通じない」ことを通じるように自分が動くことすら、怖いのです。
自分は無力だという場所から抜け出そうともしない、
結局は安全地帯でひとりジタバタしているだけ。
わたしはこれを書いて公開することで、新しい場所に足を踏み出そうとしています。
ただ、いち人間が一歩前に進んだところで世界は何も変わりませんし、
言いたいことがすべて伝わると思っているわけでもありません。
言いたいことを言える自分になりたいから、書いています。
ここまで読んでくださったあなたに何かが残れば、超ハッピーだな!と思います。
そういう気持ちをくれる映画が「若き見知らぬ者たち」だよ、と伝われば良いなと思います。
わたしにとって、見知らぬ者たちは
"言いたいことを言えない人たち"になった。はずだったのですが、
先日時間を空けて映画館へ行ったらやっぱりなにかが違う気がする・・・。
答えを出せなかったのが、答えになりました。
わたしの中で【若き見知らぬ者たち】は生きていくんだなと思います。
これからも彩人とみんなと、わたしという人間を育てていけたらいいな。
いつか苦しいことさえわからなくなったとしても、
彩人のことを考えたこの時間をきっと手繰り寄せると思います。
数年後、数十年後にこの映画が"むかしばなし"に思えるような
そんな未来でありますように。
その未来で、同じようにあなたと笑い合えますように。