呪いは桃色
大森靖子にとっての呪いは水色だったが、私にとってのそれは桃色、つまりピンクだ。
物心ついたときからピンク色が好きだった。理由はわからない。「小さい頃からピンク色の家に住むのが夢だった」という母の希望で私の実家の外壁は淡いピンクに塗られているので、もう遺伝子レベルの問題かもしれない。
私は両親──特に母親に可愛い可愛いとおだてられながら育ち、馬鹿だったのでそれを素直に受け取っていた。なので当然、「可愛い色」代表であるピンクも我が物顔で貪っていた。私の洋服箪笥は誇張なしでピンク色まみれだった。3歳頃の私はユニバに売ってるキティちゃんの被り物を被ってピンク色の服を着て、晴れの日でもピンク色の長靴を履いていた(ブーツみたいで背伸びした気分になっていたのだろうか。本気でわからないし、正直わかりたくもない)。360度どこから見ても頭のおかしい子どもだが、それを許してくれた両親の器のデカさは凄まじい。しっかりと感謝はしつつ、その自由さからこんな化け物が生まれてしまったんだろうなとも思ってしまう。だが、そのパー子さながらの期間もそんなに長く続いたわけじゃない。
自分がブスだと気づいたからである。
初めて自分のことを醜いと感じたのは、保育園の友達と並んで写った写真を見た時だ。特に私は細い目がコンプレックスで、ぱっちりとした二重瞼の友達との違いに子供心に悲しくなったことを覚えている。これは覚えていないのだが、当時の私は母親に「どうして私は〇〇ちゃんと違って可愛くないの?」と尋ねていたらしい。そんなの決まっている。遺伝子だ。お前が刷り込みレベルでピンクを好きなのと一緒だ。母親にはこの先も私の顔のことでたくさん辛い思いをさせてしまうことになるが、何よりも、私が今でもそれを申し訳ないと思えていないことに一番負い目を感じている。
そこから私の好きな色はピンクではなくなった。水色とか、初音ミクの髪みたいな色とか、紫とか、逆に白とか黒とか、とにかくピンク以外の、ちょっとクールな色がよかったのだ。この顔でピンクが好きなんて笑い物だから。でも私はそこまで根暗を表に押し出す性質ではなかったので、不細工な顔をいじられつつもそれなりに楽しく毎日をやり過ごした。
中学生になった私はメイクが大好きで、しかもそれなりに上手かった。大嫌いだった一重の目もアイプチでこじ開けて、平坦な目の下に涙袋を書いて、長い人中はリップライナーで誤魔化した。そうすると、私は田舎の公立中学の学生のわりには垢抜けた子になった。でも学校には化粧をして行けない。眉毛を描き足す程度なら黙認されていたが、アイプチなんて以ての外だった。学校では無難で味気ない持ち物を広げて、休みの日は大好きなピンク色のリボンやフリルのついた服を着て出掛けた。私のプリクラを見た同級生に「これお前かよ!w顔の違いやば!w」とか言われることもあったが、むしろそこまで変われているのかと嬉しくなった。
高校は同じ中学の同級生が誰も進学しない学校を選んだ。自由な校風で校則も緩い。絶対におしゃれでキラキラした女子高生になろうと誓った。不幸なことに根が陰キャだったので思い描いていたほど派手な高校生活は送れなかったが、それでも楽しかった。何よりも、「やっぱりピンクが似合うね」と言われた時は絶頂すらしかけた。これまでの自分なら絶対にかけられなかった言葉だ。私はついにここまで来たのかと舞い上がった。
今の私は、小さい頃のように極端にピンクの服ばかりを着ているわけではない。でもバッグの中の小物はやっぱりピンクまみれだ。こうやってもう一度ピンクを選べるようになったのは、間違いなく顔が変わったからだろう。
あの頃の地味な私は、まだピンクを好きだと言えないままで、今でも心の片隅に確実に存在している。早く迎えに行きたい。救い出したい。目が細くても、歯並びが悪くても可愛いよと言ってあげたい。そう思って幼少期のアルバムを開くたび、飽きるほど言われた「ブスだなあ」という言葉を、また自分に投げかけてしまうのである。