相手を立てるのノリで集団を立てる
個人の目標と集団の目標。
合うとは限らなくて、むしろずれると思っておく方が無難まであって。
緩めの部活に全国大会目指します!な部員が入るとかね。極端ですが。
もしも合わない時は、個人の方がすり合わせるしかなくて。
どうしても合わせたくないなら、離れるしかないのですね。
そこに文句を言ってもしょうがない部分はあります。
合わないのは単に合わない
合わないからと言って、それは自分が大事にしているものにケチがつく訳ではなくて。
単に合わないってだけなんですよね。
集団の目標は集団の存在意義みたいなところがあるので、その中では優先されますけど。
どちらが尊いとか、そういう話でもないのです。
むしろ気持ちとしては、自分も集団も対等、ぐらいに思ったって良いと思うのですよ。
自分を大事にできるから自分以外も大事にできる
例えば同調圧力を気にする時。
それはもしかしたら、周りの考えを優先しなきゃと思う時なのかもしれません。
で、自分が大事にされていないようで、不満が出て。
ドライな言い方をすれば、「自分自身が自分以外を優先している」とも言えましょう。
「自分を大事にできるから自分以外も大事にできる」って言葉を色んなところで聞いてきましたが、正しいと思います。
自分で自分を大事にできる時って、逆に自分意外を立てることもできるんですよ。
「立てる」は別に自分を下げることではないので。
「私は私が一番だと思っているけどここは一歩引くよ」みたいな感じですかね。
一歩引いたところで自分の価値は変わらないと思えていて、存在感のコントロールができる。
それが「立てる」かなぁ、と書いていて浮かびました。
「立てる」と言うと誰か1人っぽさはありますが、集団を立てるなんて考えても面白そうですね。
読んでくださりありがとうございますございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?