いつの世も新しいものは船の漕ぎだす海原に似ているように思います。
前回ウクライナの方々の日常とまったく違うことを同列にしてしまい、反省したが、しかし、日常とは何が起きようとそれが日常になるのだ。例えば今コロナは私たちの日常になり、避難することはウクライナの方々の日常だ。ある日突然起きたことに、人は対処しながら生きていかねばならない。コロナから逃げることができていたはずなのに、母はコロナで死んだ。先日の地震でも驚いて亡くなった高齢の方もいらっしゃった。すべて日常なのだ。
恩田陸さんが書かれた、「蒲公英草紙」を読んだ。お題は主人公の少女が最初に語る言葉だ。一人一人の歴史を全て覚え、その一族が言う「しまい」ながら、国内を旅する異能の一族の話。その中には未来を見ることができる能力を持つものもいる。未来を見ることができると、人を助けるために犠牲になることになる。一族は普通の人間との婚姻をし、人を助け、犠牲になって死ぬ前に一族がまわるための家を残すよう語り継ぐ。なぜ歴史を覚えて各地を転々とするのか。それは何が起きても大丈夫。そうやって人は生きていったのだと語り継ぐためである。何が起きるかわからない海原に漕ぎ出さねばならないのだ。
物語は日中戦争が起きた後の日本が世界戦争に突入する前の時代の話。まだのどかな農村が舞台だ。その中でも自然災害で人が死に、大切な人を亡くし、それでも生きていき、より良く生きようとしているだけなのに。誰も外国にまで行って人殺しをしようなど望んではいないのに、時代の流れにのまれてしまう。未来を見る、「遠目」の能力を持つ聡子と過ごした峰子という少女が主人公だ。聡子も台風の山崩れから子どもを助けるため、犠牲になる。遠目の人間はその運命にある。峰子は聡子が犠牲になる瞬間をいつまでも心にとどめている。夫も息子も戦争の犠牲になり、年老いて、自ら記した蒲公英草紙という日記から聡子を思い出し、今あの、「しまう」一族はどうしているだろうかと思いを馳せる。
先を見通すとこができれば、悪いことから逃れられそうなのに、それがために命を落とす。異能を授かったため、人々の辛い日常を聞き、全て覚えて語り継ぐために転々とする一族。私は異能とまではいかないが、BTSみたいにはいかないが、身近の人々を助けるために自らの能力をフルに使い、生きていかねばならない。日常を生きていかねば。